【みことばの黙想】 『始めの井戸を掘り返す』創世記26章12~22節

「イサクは…アブラハムの死後にペリシテ人がふさいだ井戸を掘り返した。」26:18
「いのちの水」と語られるとおり、パレスチナ地方では特に、水は命の源である。アブラハムもイサクも、天幕を張る場所で井戸を掘った。井戸を掘るということは、そこが自分の領地であることを意味し、井戸に名前をつけていた(18節)。ペリシテ人は、イサクが主に祝福されていることを妬み(12~14節)、父アブラハムの時代に、そのしもべたちが掘った井戸を、すべてふさいだ(15節)。イサクはゲラルの谷間に移動して、ペリシテ人にふさがれた、父アブラハムの井戸を掘り返した(18節)。信仰の先人たちが霊の井戸を掘り、そこから湧き上がる豊かな御霊の水により、私たちの霊の渇きは満たされてきた。現代は、労することなく、知識や情報を得やすい時代である。しかし霊の満たしと成長は、始めに掘られた井戸にある。それは十字架にある。キリストは、私たちのために十字架にかかり、いのちの御霊のあふれる井戸を掘ってくださった。多くの聖徒たちが、その井戸から御霊の大きな流れをもたらすために、信仰の戦いと労苦をした。今、始めの井戸は、ふさがれていないだろうか。もしそうなら掘り起こし、さらに忍耐強く掘り続けよう。まだ到達していない深い領域に達し、御霊が勢いよく湧き上がり、あふれ流れていくまで。

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