「私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。」3:15
主が約束された再臨の日を、教会は待ち望んでいる。主は「だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです」(9節)。主は私たちのために、今すぐにでも帰って来られる用意があるに違いないが、それ以上に多くの救われていない人々のことを思い、忍耐しておられる。主は今の世を完全に滅ぼし(10節)、義の宿る新しい天と地をもたらされる(13節)。神様は滅びゆく魂を救い出すため、ご自身のみこころをともに負い、ともに刈り取る存在として、教会を選ばれた。教会は世の光として、主の再臨までの間、この世に置かれている。教会が主の栄光を現し、主の証人として生きるように、主は忍耐をもって導いておられる。「すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです」(9節)。「すべての人」であるから、私たちも含まれる。悔い改めは、自分に向くことから、主へと向きを変えて生きることである。その結果、覆いが取り除かれ(Ⅱコリント3:16)、光の子どもらしく歩むようになる。私たちが、しみも傷もない者として御前に立つ日を思いながら、イエス様は十字架を忍ばれた(へブル12:2)。主の忍耐に感謝し、すべての人が救われ、私たちが聖く敬虔に生きる者となりますように(11節)。