「人とは何ものなのでしょう。あなたが心に留められるとは。」8:4
この詩篇には、作者であるダビデの驚きが記されている。神の偉大な力に対する驚きと(1,9節)、その神様が、人を心に留めてくださっていることへの驚きである(4節)。何ゆえに神様が人を顧みられるのか。神様の恵みの深さを知るたびに、この思いを持つのではないだろうか。神様は天地を創造されたとき、人をご自身のかたちとして造られた(創世記1:26)。そのとき神様は、どれほど人を喜ばれたことだろう。人が罪によって、神様から離れても、神様の人への愛は失われることはなく、御子によって、その愛を明らかにされた。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された」(ヨハネ3:16)。このキリストによって贖われ、純粋に主により頼む「幼子、乳飲み子」なる教会によって、神様は御国を打ち立てられる(2節)。主の教会は、キリストという堅固な岩の上に据えられている(マタイ16:18)。キリストは再び来られ、万物をその足の下に置かれ、王として治められる(5~8節)。そのとき主の教会は、主の栄光を反映させ、主と同じかたちに姿を変えられている(Ⅱコリント3:18)。御国を受け継ぎ、永遠に主とともに生きる者とされたとは「人とは何ものなのでしょう」(4節)。主にすべての栄光をささげます。