【みことばの黙想】『私はいつも主と』詩篇16編1~11節

「私はいつも、主を前にしています。主が私の右におられるので…」16:8
 表題「ダビデのミクタム」とは、「ダビデの最高に美しいの詩の中から」と訳すことができるそうである。「あなたこそ私の主。私の幸いは あなたのほかにはありません。」(2節)と告白しているように、主はダビデのすべてであった。あふれる主への賛美と献身が、最高に美しい詩となった。「あなたに身を避ける」(1節)、「主が私へのゆずりの地」(5,6節)。ダビデは自分が、主の大いなる御手の中で生かされていることを信じていた。だから「私はいつも、主を前にしています」(8節)と言うことができたのだ。常に主の御顔を拝し、常に主の後をついていく。主に見捨てられることは決してない(ヨシュア1:5)。「主が私の右におられるので 私は揺るがされることがありません。」(8節)。右は「信頼」、「力」を表す。結婚式では、花嫁は自分の右側に立っている父親の左腕につかまって入場する。父親が花嫁を花婿に委ねた後、花嫁の右側には花婿が立つ。花婿と花嫁は「一体となって」生きていくのである(エペソ5:31)。教会はキリストの花嫁である。十字架の贖いによって、すでにキリストと一体とされている(ガラテヤ2:19,20)。このキリストから力と平安と喜びをいただいている(3~11節)。だから決して揺るがされることはない(8節)

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