「あなたの光とまことを送り…」43:3
作者は、自分を悩ます不正や欺き、虐げをさばいてくださるようにと、主に訴えている(1,2節)。神様に対して、このような訴えをすることが許されていることに、安堵する人が多いのではないだろうか。「さばいてはいけない」というみことばは、守るべきものである。さばきは神様のものだからである(へブル10:30)。だから、この作者のように正直に、自分の悩み苦しみを神様に訴えたら良いのである。主は正しくさばいてくださる。
そのように主にゆだねるとき、思い煩いは、主をたたえる思いに変えられていく(3,4節)。私たちがゆだねるお方は、闇に打ち勝たれたまことの光である(ヨハネ1:5~9)。私たちは主にあって、光とまことのうちにあり、聖霊に導かれている(3節)。この世にあっては、心を痛めるような嘆かわしい出来事を避けられない。しかし、そこにありながら、喜びをもって主をほめたたえることができる。主の光とまことのゆえに。その時、自分自身に向かって、このように言うことができる。「わがたましいよ なぜ おまえはうなだれているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い 私の神を」と (5節)。