「朝明けに 私の祈りは御前にあります。」88:13
この詩篇は、魂の深いうめきを綴った詩篇である。作者は、死を意識するような状況にあったと思われる。生きるすべてのものにとって、死は避けて通ることはできない。聖書の言う死とは、肉体的な死と霊的な死の両方である。霊的な死は永遠の死をもたらし、もはや救いはなく、暗闇であり、絶望である。作者は「私の救いの神よ」と叫び、祈っている(1,2節)。神が、永遠の死から救い出してくださる方であることを知っていたのである。だから嘆いて終わりではない。「しかし私は 主よ あなたに叫び求めます。朝明けに 私の祈りは御前にあります。」と告白することができたのである(13節)。イエス様は、すべての人の身代わりに、最も深い淵、暗い所である、よみにまで下られた(3~6節)。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」との叫びは(マタイ27:46)、本来なら私たち人間が、深いよみの淵で叫ぶはずであった。主の死により、罪の力はよみに下った。夜の最も暗い闇のあとは、朝明けが待っている。主はよみがえられ、死に打ち勝たれた!信じる私たちは、やがて朽ちないからだでよみがえり、主とともに永遠に生きるのである。私たちの祈りは、死ぬべき肉の祈りではなく、生きた御霊の祈りである。