【みことばの黙想】『気前よく』箴言11章24~26節

「気前よく施して、なお富む人があり…」11:24
 神様は気前の良い方である。神様の、この気前の良い御性質が、そのまま聖書の教えの原則となっている。つまり「与えること」である。神様は私たちの罪を赦すために、御子イエス様を与えてくださった。主を信じる者は、だれでも無条件で神の子とされ、天にあるすべての霊的な祝福を与えられる(エペソ1:3)。だから「ただで受けたものを、ただで与える」べきである(マタイ10:8)。私たちが与えるものは、天からのものである。癒しや悪霊追い出しなどの、執り成しの祈りによって、主が十字架で勝ち取られた勝利の現実を、世に明らかにしていく。豊かに与えてくださる神様の恵みに応答して献金する。私たちの受けているすべては、気前の良い神様からのものである。神様の恵みは、人間の考え方に収まらない。夕方遅くに雇われた労働者にも1デナリを与えられる。「私はこの最後の人にも、あなたと同じだけ与えたいのです。…私が気前がいいので、あなたはねたんでいるのですか」(マタイ20:8~15)。愛は気前が良い。私たちには、すでに受けている計り知れない愛がある。「与えなさい。そうすれば与えられます。…気前良く量って懐に入れてもらえます」(ルカ6:38)。

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