「幻がなければ、民は好き勝手にふるまう。」29:18
「幻」は、英語の聖書では「vision(ビジョン)」と訳されている。ビジョンというと、自分の夢や目標など、自己実現的な意味に捉えがちである。しかし聖書に書かれている「幻」は、神様が与えられる「天からの啓示」である。「幻がなければ、民は好き勝手にふるまう。」とある。人々は好き勝手に生きており、ますますそれが加速されていくのを見ると、この世に必要なのは、主の幻であることがわかる。主の幻は、すでにこの世界に与えられている。「天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたは見ることになります。」(ヨハネ1:51)。イエス様は、天と地をつなぐ、はしごとなるために十字架にかかられた。主を信じる者は、天のすべての霊的祝福を与えられ、天のものをこの地にもたらすことができる。神の民である私たちが、天からの啓示に従って生きるなら、地の祝福となる。口語訳聖書では「預言がなければ」と訳されている。「預言」は神から預かったことばのことで、それは聖書のことばである。天からの啓示は聖書の中にある。18節の後半には「みおしえを守る者は幸いである。」と書かれている。日々、聖書を読む中で、天からの啓示を心に留めて、そのことばに従って生きていこう。各々に与えられるみことばのピース(一片)が集められるとき、天的教会のビジョンを見出すだろう。