「しかし私は、神を恐れる者が神の御前で恐れ、幸せであることを知っている。」8:12
この世では、悪人がすぐにさばかれず、かえって栄え、長生きしているのを見ることがある(11,12節)。不条理とも思える世にあって、伝道者は「悪しき者には幸せがない」と断言している(13節)。なぜならば、「彼らが神の御前で恐れないからだ。」(13節)。「主を恐れることは知識の初め」である(箴言1:7)。私たちは、どのようにして主を恐れる者となっただろうか。イエス様の十字架の贖いがなければ、滅びるしかない罪人の自分を知ったときではないだろうか。人間は、自分の命を延ばすことも、救うこともできない(13節)。罪人は必ず永遠の死に至る。しかし、その罪人の身代わりに、イエス様が死んでくださり、よみがえられたことによって、人は罪赦され、永遠のいのちを与えられる。イエス様を信じること。これが主を恐れることである。「わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)。私たちは、やがて地上の生涯を終える日が来る。そのとき、主のみもとに行き、後の日に栄光のからだでよみがえる希望をいただいている。だから、主を恐れる者は幸いである(12節)。目に見える世界にとらわれて、必要以上に憂えるのではなく、見えないけれど、永遠に生きておられる方に目を留めよう。「あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望み」(コロサイ1:27)。