「神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ…」2:6
主はよみがえられた!ここに私たちの信仰の実体がある。私たちはキリストにあって、ともによみがえり、ともに天に座らせられている(6節)。かつては罪人として、神の御怒り受けるべき「怒りの子」であったのに(1~3節)、ただ神のあわれみにより、恵みによって救われ、「神の子」とされた(4~6節)。復活は、よみの深みから、天の無限の高き所に昇ったほどの大いなる力である。そこに主は、信じる者たちを引き連れて行ってくださった(6節)。この天の立場から物事を見て、とらえていこう。そうするなら、自分にとらわれることから解放されていく。救いは神の賜物である(8節)。神の恵みにより頼み、満たされて歩むだけである。そうすることは、良い行いにつながる。それは、かつての生まれながらの自分の良い行いよりも、はるかにすばらしい行いである。なぜならば、救われた私たちは神の作品であり、良い行いをも備えていただいているからである(10節)。この限りなく豊かな恵みは、ただ主によるものである。キリスト・イエスにあって…私たちはキリストとともにある。