【みことばの黙想】 『主のもの』レビ記27章30~34節

「地の十分の一は、地の産物であれ木の実であれ、すべて主のものである。」27:30
神様が天地万物の創造者である。神様が人間に与えられた地を治める権利は(創世記1:28)、罪により、サタンに奪われてしまったが、世界が神のものである事実は変わらない。「すべて主のもの」(30節)…この偉大なる大前提が、聖書の中心に流れている。罪と死に支配された人間を開放し、「主のもの」として回復するために、イエス様が世に与えられた。信じる私たちのすべては「主のもの」である。だから、自らを主に献げることは、当然のことと言える。しかし主は、私たちにすべてを献げるように強制されない。ただ一つ、命じられたことは、収入の十分の一を献げることである(30節)。「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。」(マラキ3:10)。私たちの十分の一献金は「主の聖なるもの」であり(30節)、主の家(教会)の食物となる。さんだグレイスチャペルだけにとどまらず、地にあるすべての主の家を満たすものとなる。十分の一献金を通しても、主のものとされた幸いを味わい知るのである。

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