【みことばの黙想】『礼拝の回復』歴代誌 第二29章1~36節

「彼はその治世の第一年の第一の月に、主の宮の戸を開いてこれらを修理した。」29:3
 ヒゼキヤはユダの王に即位してすぐ、宮を修理し、聖別した(3~19節)。彼の父アハズが、主を捨てて異教の神を拝み、国を堕落させたため(6~9節)、ユダ王国が主に立ち返ることが、第一になすべきことと示されたからである(10節)。「主の宮の戸を開く」ことは、主との交わりの回復を求める行為である。それは礼拝の回復である。主を礼拝するために、宮をきよめ、律法に従い罪のきよめのささげ物、全焼のささげ物をささげ、全イスラエルの宥めがなされた(20~24節)。みことばに基づいた正しい礼拝は、霊的な回復をもたらす。民は感謝と喜びに満たされて、自ら進んで献げものを携えて来た(27~33節)。主イエス・キリストは、ご自身によって神と人とを和解させ、罪人を礼拝者に変えてくださった。私たちの礼拝が受け入れられるのは、ただキリストの贖いのみわざによる。御名によって大胆に恵みの御座に行き、主との交わりを楽しもう。御霊に委ね、主の深く広い愛を受け取ろう。形骸化した礼拝は霊が枯渇する。キリストが回復してくださったのは、霊とまことによる礼拝である(ヨハネ4:23)。

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