【みことばの黙想】 『神は天から』詩篇53編1~6節

「神は天から人の子らを見下ろされた。」53:2

 ここで言われている「愚か者」(1節)とは、傲慢な者と言うことができる。「神はいない」という考えは傲慢であり、罪そのものなのである。罪とは神に反抗することである。だから腐り、忌まわしい不正を行う(1節)。罪とは的外れである。だから善を行えない(1,3節)。罪のもたらすものは死である。イエス様は、この罪深い世に下りてきてくださり、十字架のみわざによって、すべての人を罪と死の力から救い出してくださった。救いは、主を信じる信仰によって、恵みにより与えられる。罪人が義人に変えられるのは、主を信じる信仰以外にない(ローマ3:22)。神様は、へりくだる者にご自身を現わされ、「悟る者」とされる(2節)。主が探しておられるのは、へりくだって主を求める人々である (2節)。十字架は「愚か者」の自分を死に渡し、「悟る者」(キリストにある者)とする、神の力である。主は、私たちがご自身により頼むことを求められ、喜ばれる。自分をあきらめて、主を見上げるだけである。「義人は信仰によって生きる」(ローマ1:17)。

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