「しかし 主よ あなたがそばにおられます。」119:151
「悪意を遂げようとする者が近づきました」(150節)とあるように、著者は、悪者によって窮地に追い込まれていたようだ。そのような中で、主に救いを呼び求め(145,146節)、夜明け前に起きて、叫び求めた(147節)。信頼できる唯一の方は、神様だけである。主を呼び求め、叫び求めながら、彼は心を尽くして、主の「おきて」、「さとし」、「みことば」、「定め」、「みおしえ」を守り従い、とどまり、思いを潜め、待ち望んだ。そのようにして彼は、主の語られたことばが世界を造られ、主のことばは、すべて真実であることを悟ることができた(151,152節)。その主が、彼のそばにおられることを知った(151節)。
イエス様は「インマヌエル(主はともにおられる)」の主である。すべての人を罪から救い、ともにいてくださるために、この世にお生まれになり、十字架の死にまでも従われた。今、主は私たちとともにおられる。それゆえに、みことばの真実に触れ、励まされるのである。「ことばは神であった」(ヨハネ1:1)。ことばなる神様は、御霊によって私たちとともにおられる。