「北風よ、起きなさい。南風よ、吹きなさい。」4:16
雅歌を通して、花婿なるキリストと、花嫁なる教会の麗しい交わりを見ることができる。「私の妹、花嫁よ。あなたの愛は、ぶどう酒にまさって麗しく…。」(10節)。花婿が花嫁のすべてを愛しているように(9~15節)、キリストも、私たち教会を愛してくださっている。主にとって私たちは、ご自身のいのちをかけて贖われた「最上の実」(16節)である。主の血潮により、私たちは主と一体とされ(エペソ5:31,32)、天にあるすべての霊的祝福を受けている(エペソ1:3)。霊的祝福は聖霊にある。聖霊に導かれるとき、私たちから、芳ばしいキリストの香りが漂う (Ⅱコリント2:14,15)。聖霊の風は、その好むところに吹く(ヨハネ3:8)。そこには主が栄光を現すためにおられる。「北風よ、起きなさい。南風よ、吹きなさい。私の庭に吹いて、その香りを漂わせておくれ。」(16節)。私たちは聖霊が好むことを意識する必要がある。「私の愛する方が庭に入って、その最上の実を食べることができるように。」(16節)。主が求めておられるのは、私たちという最上の実である。愛する主に、私たちをささげるとき、聖霊の風が吹き、キリストの香りが放たれる。