【みことばの黙想】『主は十字架で』ガラテヤ人への手紙3章6~14節

「木にかけられた者はみな、のろわれている」3:13
 「木にかけられた者はみな、のろわれている」(13節)。律法には、そう書かれている(申命記21:23)。すべての人が受けるべきのろい、すなわち永遠の死の刑罰を、イエス様は十字架の上で、身代わりに受けてくださった。その結果、人は律法の行いによってではなく、イエス様を信じる信仰によって、義と認められるのである(11節)。ただ一人、イエス様以外、律法の要求を満たす方はいない。信仰により義とされた者は、のろいから解放されており、祝福を受け継ぐ者とされた。神様はアブラハムを通して、すべての人が祝福されることを約束された(8節)。その約束を実現したのが、イエス様の十字架である。
主の御霊が信じる人々のうちに住まわれ、御国を受け継ぐ者となる(14節)。御霊を受けること。これほどの祝福はない。義とされたこと、死に打ち勝たれた主により、圧倒的勝利者とされたこと…。すでに天にある立場を御霊が証しされる。この御霊の証しが、日々の励ましとなり、力となる。今週は受難週である。十字架によって与えられた御霊の証印、開かれた天の恵みを感謝し、ますます主を愛し、主を求める者とされますように。

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