「見よ、主の日が来る。」14:1
神が天地を創造されたとき、まず最初に言われたのは「光、あれ」ということばであった。それは「光」がすべての根源だからである。「光」は私たちに「希望」を与える。
今どんなに暗闇の中にあっても、それが夜明け前の暗さであるなら、そこには希望がある。私たちを決定するものは、現在の暗さではなく、「光」に対してどのように生きているかということである。
暗黒の中にありながら、イスラエルが持ち続けた希望の根拠は「主の日が来る」という信仰であった。「主の日」とは、主の支配がこの地上に打ちたてられる日のことである。
このとき、悪の支配がいかに根強かろうと、すべてが主の支配のもとに引き出され、羊と山羊とを分けるようにわかたれる。彼らはこの日が必ず到来することを信じ、それゆえに希望を持って生きたのである。
ヨハネは「すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。」と記し(ヨハネ1:9~11)、まことの光、主の日の預言の成就の日にある、われわれの生きる道を示している。 ―榎本保郎著「旧約聖書 一日一章」より抜粋―
