2024年3月10日 礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2024年3月10日(日)の礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

メッセンジャー:檜垣正裕師

聖書箇所:マルコの福音書11:1〜11

タイトル:エルサレム入城、受難週の始まり

西宮福音教会

【みことばの黙想】 『継続的満たし』Ⅰサムエル記16章1~13節

「主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。」16:13

サムエルによって油注がれた日以来、ダビデの上に主の霊が激しく下った(13節)。「その日以来」とは、絶えることなく継続的な状態を示している。「激しく下った」と訳されたヘブル語の「ツァーラハ」は、「成し遂げる、栄える」という意味を持っている。つまり、ダビデは主の御霊によって、御心を成し遂げる者になったということである。「さあ、彼に油を注げ。この者がその人だ。」(12節)。主は、8人兄弟の末っ子で、羊の番をしていたダビデを選んでイスラエルの王に任命された(1節、11節)。ダビデをイスラエルの王に立てることで、主の御心を成し遂げたいと願われたのである。主の御心とは、全地が主の栄光を知ることで満たされることである(ハバクク2:14)。「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」(ゼカリヤ4:6)。主は、ご自身の霊によって御心を成し遂げる者を求めておられる。主の霊が激しく下るために、私たちの肉の性質は取り扱われて、砕かれていかなくてはならない。十字架が、私たちの中にある肉の思いと御霊の思いを切り分けていく。十字架と継続的な聖霊の満たしは切り離せないのである。

【みことばの黙想】『エベン・エゼル』Ⅰサムエル記7章1~12節

「ここまで主が私たちを助けてくださった」7:12
 ペリシテ人に奪われていた神の箱が、キルヤテ・エアリムにとどまって20年経ち、イスラエル全家に主への飢え渇きが起こった(2節)。神の箱は神の臨在の場所である。神の臨在への飢え渇きは、イスラエルにリバイバルをもたらした。イスラエルのさばきつかさであったサムエルの言葉により、民は主の前に断食して悔い改め、偶像を取り除き、主にのみ仕えたのである(3~6節)。しかし主に仕えるイスラエルに、再びペリシテ人が攻めて来た(7節)。この時イスラエルは、すぐにペリシテ人に応戦しようとしたのではなく、主により頼み、主に叫んだ(8節)。サムエルが全焼のいけにえを献げ、イスラエルのために主に叫んだとき、主は天から大きな雷鳴を轟かせ、ペリシテ人はイスラエルに打ち負かされた(9~11節)。戦いに勝利した後、サムエルは一つの石を取り「エベン・エゼル」と名付け、「ここまで主が私たちを助けてくださった」と言った(12節)。リバイバルにより、主が常にともにいて、助けてくださっていたことに気づかされるだろう。そして、ただ主だけにより頼む者へと変えられる。主はこれから後も、私たちを助けてくださる。

2024年3月3日 礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2024年3月3日(日)の礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

メッセンジャー:檜垣正裕師

聖書箇所:マルコの福音書10:17〜31

タイトル:天に宝を持つ

西宮福音教会

2024年2月25日 証と礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2024年2月25日(日)の礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

証:山本由美神学生

 

メッセンジャー:山本峻師

聖書箇所:エペソ人への手紙1:17〜23

タイトル:教会 -キリストのからだ-

西宮福音教会

【みことばの黙想】『主にすがりつく』ルツ記1章1~22節

「ルツは彼女にすがりついた。」1:14
 モアブの地で、夫と二人の息子に先立たれたナオミは、飢饉が収まった故郷ベツレヘムに戻るため、二人の嫁ルツとオルパとともに帰途についた(1~7節)。しかしナオミは、二人の嫁の将来を考え、実家に帰るように強く勧めた(8~13節)。オルパは帰る決断をしたが、ルツはナオミにすがりついた(14節)。マグダラのマリアは、復活されたイエス様にすがりついた(ヨハネ20:11~16)。主を心から愛していたからである。主は彼女に「わたしにすがりついてはいけません」と言われた(ヨハネ20:17)。約束の聖霊が注がれるために、復活されたイエス様は天に上り、栄光を受けなければならなかった。(ヨハネ7:39)。今、私たちの内には、主の栄光の御霊が住んでおられる。「ふたりは一体となるのである」(エペソ5:31)。私たちは主と一体であり、御国を受け継ぐ者とされたことを、御霊が保証される(エペソ1:14)。すがりつく我らに、主は言われる。「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」(へブル13:5)。

【みことばの黙想】『主は不思議』士師記13章15~25節

「わたしの名は不思議という。」13:18

サムソンは、イスラエルをペリシテ人から救うため、生まれる前から神のナジル人として聖別されていた(3~5節)。主の使いは、このことを告げるためにマノアの妻に現れた。マノアは主の使いに名前を訊ねた。「わたしの名は不思議という。」(13節)。「不思議」は神様のご性質であり、神様だけが「不思議」をなさることができる。神様はご自分の御子イエス・キリストを、全人類の救いのために、この世に与えてくださった。神の御子が、人としてこの世にお生まれくださったこと以上の不思議はない。「信じてバプテスマを受ける者は救われます。」(マルコ16:16)。バプテスマは、イエス様と一体であることを現わすものである。信じる者には、次のようなしるしが伴う。「わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばで語り、その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒されます。」(マルコ16:17.18)。イエス様の「不思議」が信じる者から現れる。主の不思議に与る者となった恵みを思い、心から感謝する。

2024年2月11日 礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2024年2月11日(日) の礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

メッセンジャー:大田裕作師

聖書箇所:マタイの福音書16:13〜19

タイトル:この岩の上に

西宮福音教会

【みことばの黙想】『ヨシュアが求めた町』ヨシュア記19章49~51節

「ヨシュアが求めた町…ティムナテ・セラフを彼に与えた。」19:50
イスラエルの全部族の相続地の割り当てが終わった後、民はヨシュアに対して、望む町を相続地として求めるように申し出た(49節)。イスラエルを導いてきたヨシュアへの功労に、感謝を表したのである。ヨシュアは、エフライムの山地にあるティムナテ・セラフを求めた(50節)。ティムナテ・セラフとは「太陽の部分」という意味で、太陽崇拝が行われていた地であった。「隅々まであなたのものにしなさい」(17:18)、「主があなたがたに与えられた地を占領せよ」(18:3)と、ヨシュアは民に命じてきた。この地はすでに、主が与えてくださっているという約束に立ち続けたのである。「占領すべき地は非常にたくさん残っている」(13:1)との主の声に聞き従い、偶像崇拝の地ティムナテ・セラフを占領し、「町を建てて、そこに住んだ」(50節)。偶像礼拝の町から、まことの神を礼拝する町に再建したのである。このときのヨシュアは80歳を超えていた。全地は主のものである。罪により敵に奪われたが、主の十字架が奪い返した。私たちの日本も、獲得していない地がたくさん残っている。主が完成されたみわざに目を留め、この国を教会に与えてくださるように、大胆に求めていこう。私たちの年齢や現状を超えて働かれる、偉大な主を信じて。

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