~教会員の方の証し(あかし)~
「証し(あかし)」とは?
キリスト教では、神様から頂いた恵みを人に伝えることを「証し(あかし)をする」と言います。
イエスさまを信じた者には、それぞれ様々な人に伝えたいと思う「証し(あかし)」があります。
ここでは、当教会の何名かの方の「証し(あかし)」をご紹介します。
「神様に救われた時の事とそのあとの感謝」 (Mさん 50代男性)
私が救われたのは、1995年(平成7年)、皆さんもご存知の大地震・阪神大震災の年でした。
忘れもしません。1995年1月17日午前5時46分、大地震が起きました。
私は、その時四人家族で、私と家内は二人で寝室に、子供二人は子供部屋にいました。子供達は、まだ幼稚園児だったと思います。
始めの縦揺れがドーンと来て、たたき起こされた感じで、起きました。そのあと、横揺れが長く続きましたが、その間に子供たちの部屋までの何メートルかを揺られながら、歩きました。その時は気づきませんでしたが、後になって右足の甲から血が出ていて、けがをしているのがわかりました。その時は、必死で子供部屋まで行こうとしていたので、気づきませんでした。何とか、子供部屋まで行くと、二段ベッドでよかったのですが、前に置いていた本棚が倒れ、ガラスが割れ散っていました。
そこで、すぐ二人を抱きかかえ、避難したのを覚えています。
その時です。「生き埋めや。」という大きな声が外でしたので、外へ出ると、横の関学の学生さんの二階建ての下宿が、なんと二階部分しか見えなくなっていました。一階部分が押しつぶされていました。その下宿は、だいぶ前から建てられていたようで、確かに古い建物でした。二階にいた学生さんは助かったようですが、一階にいた学生さんが生き埋めになったようでした。そこで、まず、柱に挟まれている学生さんがおられたので、みんなで助けました。ただ、その時も何回も余震が来ていて、もう一度崩れてしまうかどうかみながらの作業となりました。何とか救い出して、病院まで送り届けたのですが、残念なことに、後で病院で亡くなったと聞きました。それからもう一人生き埋めの人がおられると聞いて、みんなで探しました。
結局みつからず、二階の壁の下敷きになってしまわれたようでした。逃げた人の話を聞くと、小さい声で、「助けて。」という声が聞こえたとのことです。その下敷きになったと思われる横には、腕時計がおいてあったとも聞きました。さぞかし苦しかったろうなと思いました。その後、ブルドーザーが来てその学生さんを引き上げたとのことでしたが、硬直状態でみつかったと聞きました。
苦しさ・つらさ、想像を絶するものがあったと思います。
その時、私には何もできませんでした。その二人の学生さんの死に対して何も逆らうことはできませんでした。本当に無力な人間でした。どうしようもなかったのです。それから、何かを求めようとしました。それが何であるかはわかりませんでした。今、振り返って思うと、何か偉大なものを感じていたのかもしれません。その時はわかりませんでしたが、何かにひかれていたような気がします。
その数か月後、私は教会を求めるようになっていました。中学からミッションスクールに通っていた私は信じてはいないながらも、神様のことは頭では知っていました。ただ、それは頭だけです。しかし、地震に遭ってからは、何故か心で求めるようになっていました。それから教会に通い、その年のクリスマスに洗礼を受け、神様に救われました。
それから、二十二年が立とうとしていますが、色々なことを経験させていただきました。
予期せぬことも起こりました。それまで、順風満帆だと思っていた人生(勝手に思っていただけにすぎませんが。)が、見事に崩れ去りました。そうです。地震の時、学生さんを助けることができなかった時に思ったあの思い、何もできない無力な者、どうしようもない私に再びされました。神様はことごとく崩されました。しかし神様から、「私の計画通りだ。」という御言葉を頂きました。そして、今はどんなことも感謝する生活をおくれるよう、神様に御言葉を聞く毎日です。
この感謝は言葉では表せないほどのものです。感謝に堪えない日々を送らせていただいています。神様は、私のような者の考えをはるかに超える考えをお持ちです。
「神様、私に何をさせようとしておられるのですか。」
といつも聞いています。そしてその御言葉に従っていきたいと思います。神様は本当に取るに足りない何もできないどうしようもない私のような者をも救ってくださいました。
「神は天地を創造した。」
偉大なる神様に感謝し、全てをご存知の全能なる神様にすべてお任せできる素晴らしい人生を送りたいと思っています。
「救いの証し」 (Hさん 40代女性)
私がキリスト教系幼稚園に登園していたこともあってクリスマス行事、礼拝には親子で参加していましたが、それ以上に求めることも なくたまに出席する程度で、月日は過ぎていきました。
父の転勤で関西に赴任したとき、それまでの持ち家を手放して、社宅に入居したことが母には相当辛いことだったようで、近所に子ども向けの教会学校が開かれて兄弟みんなで行くようになったとき、教師の先生の勧めで母も礼拝に毎週集うようになりました。私も5年生でもあり一緒に出かけるようになりました。
礼拝は大人の礼拝に出席していました。礼拝の内容はだいたい理解できました。土曜教会学校の先生が私の出席を喜んで励ましてくれ、それがとてもうれしかったのです。そんな生活が何年か続き、まず母が洗礼を受けました。
私の洗礼はちょっと変わっていました。教会にいる時に「洗礼を受けなさい」という心に光が差し込むような不思議な声が聞こえたのです。私はその声に導かれるまま、牧師先生に洗礼の申込みをしました。
洗礼準備会がひと通りあり、1984年15歳のクリスマスに受洗しました。
「神様の子どもになって天国に行ける。」教会学校で聞いていたことが現実になって嬉しい半面、「イエスキリストが私の罪のために十字架にかかられて死なれて、よみがえられた」という根幹の部分は聞いた以上の理解はありませんでした。
クリスチャン生活が始まって挫折しました。毎週の礼拝出席、信仰&奉仕生活。励ましてくれる人は周りにたくさんいましたが、反抗期とも重なってだんだん礼拝に行かなくなっていきました。そんな時に高校生のキャンプがあると聞き、参加してみました。
同じ年代の子どもたちが迷いながらも神さまに応答していく姿を見たとき、本当は私もそれを求めていたことに気づきました。「こんな私を愛して十字架に掛かって下さった方がいる。」受洗してからその意味を深く知る時となりました。
それからも周りにいろいろな迷惑をかけながらも助けられ、何よりも神さまに導かれてここまで来れました。神様に愛され、神様を「天の父」と親しく呼びかけられる今の生活を心から感謝しています。
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
ヨハネⅠ 4:9~10
「救いの証し」 (Yさん 30代男性)
私がイエス・キリストをどのようにして救い主としてはっきり受け入れることができたかをお話いたします。
私は両親が共にクリスチャンの家庭(クリスチャンホーム)の子供です。物心ついた頃には救い主であるイエス・キリストの存在、また日曜日は教会に行くことは私にとって「普通」のことでした。
そして小学5年生の時、教会学校の友達6人と一緒に洗礼を受けました。
私が洗礼を受けたのはイエス・キリストの自分の救い主として信じたからです。しかしそれ以上に大きな理由がありました。それは友達が洗礼を受けることを決心したため「自分も遅れるわけにはいかない」という理由です。
そのためか中学生、高校生の間は自分の意志で「教会に来ている」というよりは、教会には「来させられている」という思いが強かったと記憶しています。
それでも教会に繋がり続けられたのは父と母が神様と教会に献身的に仕えている姿を間近で見てきたからだと思います。
このようになんとなくクリスチャン生活を送っていた私でしたが、大学生時代に同年代のクリスチャン達と関わる機会が増えました。
そしてそのクリスチャンの友達たちが神様と教会を大切にしている姿を目の当たりして、自分もクリスチャンとして真面目になろうと考えるようになりました。
そして自分の意志で教会に繋がることを選び続けられるようになっていた24歳のクリスマスの時期にイエス様は私に個人的に出会って下さいました。不思議な体験ですが、イエス様の声が私の心の中で聞こえました。それは「感謝しているのか?」という一言でした。
私はこの言葉を聞いて程なくして聖書の一節が思い浮かびました。
『信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。』(へブル人への手紙12章2節)
という御言葉です。このとき御言葉の「イエスから目を離さないでいなさい」とは「いつもイエス様の十字架の恵みを忘れずに感謝し続けなさい」と意味しており、それまで私がイエス様の十字架による罪からの救いを心から感謝できていない者であったということがわかりました。そして罪人である自分のためにイエス様は死ぬために今から2000年前に生まれて下さったことが初めて心でわかりました。
ずっと頭の中で知識として知っていた聖書の話が全て意味を成して私に降り注ぎ、ようやく腑に落ちたというような体験でした。これが私のイエス様との個人的な出会いです。
このことを体験した私はそれ以来、イエス様が私の罪の身代わりとなって十字架に架かって死んで下さった救い主であり、そのお方の十字架の死と葬りと復活に合わされて、私も罪赦されて永遠のいのちが与えられたという「恵み」への感謝が絶えません。
イエス様は私にいのちを与えて下さった、真の救い主です。私は今、このすばらしいお方を宣べ伝える者として残りの人生を使いたいと願っています。どうか皆様もこのイエス様という救い主にお出会いできますように。