「その日、主は天では天の大軍を、地では地の王たちを罰せられる。」24:21
24章から27章までは、「イザヤの黙示録」とも呼ばれる章である。終わりの時のことが述べられているからである。「その日」(21節)、すなわち終わりの日に、全地に対する神のさばきが行われる。「見よ」(1節)。この一言で、イザヤが自分の見た幻に、どれほど驚愕したかがわかる。主が地を荒れ果てさせ、世界中がしおれ、衰え、嘆き悲しみ、罰せられ、生き残る者はわずかしかいない…(1~7節)。世の終わりの神のさばきは厳しく、恐ろしいものである。なぜなら、神に逆らうサタンの王国が、完全に罰せられるからである(21,22節)。キリスト者たちにとって、「その日」は大いなる勝利の日、栄光の日である。「万軍の主がシオンの山、エルサレムで王となり、栄光がその長老たちの前にあるからである。」(23節)。世の終わりは決して絶望の日ではない。栄光の主が治められる、永遠に続く御国の訪れの日である。「その日」は近づいている。主にある私たちは、神の御怒りを受けることはない。主が私たちの身代わりに、十字架の上で神の御怒りを受けてくださり、贖いを完成してくださったからである(Ⅰテサロニケ1:10)。「わたしは…あなたがたのところに戻ってきます」(ヨハネ14:18)。「主イエスよ、来てください」(黙22:20)。
2025年3月2日 礼拝メッセージ
主の御名を賛美いたします。
2025年3月2日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。
どうぞご覧ください。
メッセンジャー:山本峻師
聖書箇所:使徒の働き 8:1〜13
タイトル:ユダヤとサマリヤの全土へ
西宮福音教会
2025年2月23日 礼拝メッセージ
主の御名を賛美いたします。
2025年2月23日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。
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メッセンジャー:檜垣正裕師
聖書箇所:マタイの福音書1:1〜17
タイトル:系図上のしみ
西宮福音教会
2025年2月16日 礼拝メッセージ
主の御名を賛美いたします。
2025年2月16日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。
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メッセンジャー:檜垣正裕師
聖書箇所:創世記 22:1〜19
タイトル:アドナイ・イルエ 主の山に備えがある
西宮福音教会
【みことばの黙想】『主を見た』イザヤ書6章1~8節
「ウジヤ王が死んだ年に、私は、高く上げられた御座に着いておられる主を見た。」6:1
ウジヤ王は52年という長い期間、ユダ王国を治め、繁栄をもたらした王である(Ⅱ歴代誌26:3~15)。しかし晩年、高ぶりによってツァラアトに冒され、癒されることなく死んだ(Ⅱ歴26:16~23)。ウジヤ王の死は、イザヤにとって、大きな拠り所を失うことであった。そのようなときにイザヤは、「高く上げられた御座に着いておられる主を見た」(1節)。イザヤは、主の圧倒的な聖さの前に、自分がいかに汚れた罪人であるかを思い知らされ、主への恐れで、ひれ伏した(2~5節)。罪とは、神以外のものに頼ることである。イザヤは主を信じていたが、ウジヤ王が死んだとき、主ではなく、この王を当てにしていた自分に気づいた。頼りにしていたものが取り去られたとき、本当に頼るべき、ただ一人の方に出会う。この方は、ご自分のいのちをかけて罪を赦してくださった、ただ一人の主である(6,7節)。私たちは主を信じている。しかし、主以外の何かを当てにしていないだろうか。見えるものは一時的である(Ⅱコリント4:18)。握っているものを手放して、主だけを頼みとするとき、栄光の主の臨在に覆われていることがわかる。そして主の御声を聞き、応答することができるのである(8節)。
【みことばの黙想】『キリストの香りを漂わせる』雅歌4章8~16節
「北風よ、起きなさい。南風よ、吹きなさい。」4:16
雅歌を通して、花婿なるキリストと、花嫁なる教会の麗しい交わりを見ることができる。「私の妹、花嫁よ。あなたの愛は、ぶどう酒にまさって麗しく…。」(10節)。花婿が花嫁のすべてを愛しているように(9~15節)、キリストも、私たち教会を愛してくださっている。主にとって私たちは、ご自身のいのちをかけて贖われた「最上の実」(16節)である。主の血潮により、私たちは主と一体とされ(エペソ5:31,32)、天にあるすべての霊的祝福を受けている(エペソ1:3)。霊的祝福は聖霊にある。聖霊に導かれるとき、私たちから、芳ばしいキリストの香りが漂う (Ⅱコリント2:14,15)。聖霊の風は、その好むところに吹く(ヨハネ3:8)。そこには主が栄光を現すためにおられる。「北風よ、起きなさい。南風よ、吹きなさい。私の庭に吹いて、その香りを漂わせておくれ。」(16節)。私たちは聖霊が好むことを意識する必要がある。「私の愛する方が庭に入って、その最上の実を食べることができるように。」(16節)。主が求めておられるのは、私たちという最上の実である。愛する主に、私たちをささげるとき、聖霊の風が吹き、キリストの香りが放たれる。
2025年2月9日 礼拝メッセージ
主の御名を賛美いたします。
2025年2月9日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。
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メッセンジャー:山本峻師
聖書箇所:使徒の働き 7:51〜60
タイトル:眠りについたステパノ
西宮福音教会
【みことばの黙想】『神を恐れる者は幸い』伝道者の書8章9~14節
「しかし私は、神を恐れる者が神の御前で恐れ、幸せであることを知っている。」8:12
この世では、悪人がすぐにさばかれず、かえって栄え、長生きしているのを見ることがある(11,12節)。不条理とも思える世にあって、伝道者は「悪しき者には幸せがない」と断言している(13節)。なぜならば、「彼らが神の御前で恐れないからだ。」(13節)。「主を恐れることは知識の初め」である(箴言1:7)。私たちは、どのようにして主を恐れる者となっただろうか。イエス様の十字架の贖いがなければ、滅びるしかない罪人の自分を知ったときではないだろうか。人間は、自分の命を延ばすことも、救うこともできない(13節)。罪人は必ず永遠の死に至る。しかし、その罪人の身代わりに、イエス様が死んでくださり、よみがえられたことによって、人は罪赦され、永遠のいのちを与えられる。イエス様を信じること。これが主を恐れることである。「わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)。私たちは、やがて地上の生涯を終える日が来る。そのとき、主のみもとに行き、後の日に栄光のからだでよみがえる希望をいただいている。だから、主を恐れる者は幸いである(12節)。目に見える世界にとらわれて、必要以上に憂えるのではなく、見えないけれど、永遠に生きておられる方に目を留めよう。「あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望み」(コロサイ1:27)。
2025年2月2日 礼拝メッセージ
主の御名を賛美いたします。
2025年2月2日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。
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メッセンジャー:檜垣正裕師
聖書箇所:サムエル記 第一 7:10〜12、エペソ人への手紙2:1〜10
タイトル:記念碑の教えるもの
西宮福音教会
2024年12月22日 クリスマスゴスペルコンサート
2024年12月22日(日)西宮福音教会のクリスマスゴスペルコンサートから
半年間のワークショップで練習した賛美を披露しました!
季節感はズレていると思いますが、ぜひご視聴ください。
「God Is Great」
「Agnus Dei「Draw Me Close to You」
「この両手広げて」
「Gloria Alleluia」
西宮福音教会