【みことばの黙想】『主は正しく真実である』ネヘミヤ記9章1~38節

「私たちに降りかかったすべてのことにおいて、あなたは正しくあられます。」9:33
 エルサレムの城壁が再建され、イスラエルの民は広場に集まり、律法の書の朗読に耳を傾けた(8:1~3)。律法に従って「仮庵の祭り」を祝った後(8:14~18)、断食して自分たちと先祖の罪を告白し、律法を朗読して主を礼拝し、大声で賛美した(1~4節)。礼拝で導かれた祈りは、神様の真実さに対し、先祖の時代から今に至るまでの、自分たちの不信仰と罪深さを告白するものだった。ペルシアの支配下に置かれ、苦しみの中にあるのは、神様に対して不信の罪を犯し続けてきたせいだと認める、悔い改めの祈りである(5~37節)。悔い改めは、神様に向きを変えることである。神様に向くと、神様の正しさと真実さがわかる。そして、いかに自分が神様に対して不遜であったかが、わかってくる(33節)。罪とは神様に従わないことであり、人間は罪人のゆえに、神様に従えない。「それにもかかわらず、あなたは赦しの神であり」(17節)。イエス様は罪人のために、ご自身をささげてくださった。私たちが今生きているのは、ただ神様の恵みによる。主はいつでも正しく真実である。御霊は私たちに、主の真実さに立つように導かれる。

【みことばの黙想】『主の忍耐』ペテロの手紙 第二3章1~18節

「私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。」3:15

 主が約束された再臨の日を、教会は待ち望んでいる。主は「だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです」(9節)。主は私たちのために、今すぐにでも帰って来られる用意があるに違いないが、それ以上に多くの救われていない人々のことを思い、忍耐しておられる。主は今の世を完全に滅ぼし(10節)、義の宿る新しい天と地をもたらされる(13節)。神様は滅びゆく魂を救い出すため、ご自身のみこころをともに負い、ともに刈り取る存在として、教会を選ばれた。教会は世の光として、主の再臨までの間、この世に置かれている。教会が主の栄光を現し、主の証人として生きるように、主は忍耐をもって導いておられる。「すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです」(9節)。「すべての人」であるから、私たちも含まれる。悔い改めは、自分に向くことから、主へと向きを変えて生きることである。その結果、覆いが取り除かれ(Ⅱコリント3:16)、光の子どもらしく歩むようになる。私たちが、しみも傷もない者として御前に立つ日を思いながら、イエス様は十字架を忍ばれた(へブル12:2)。主の忍耐に感謝し、すべての人が救われ、私たちが聖く敬虔に生きる者となりますように(11節)。

2024年7月14日 礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2024年7月14日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

メッセンジャー:山本峻師

聖書箇所:使徒の働き 4:1〜22

タイトル:話さないわけにはいきません

西宮福音教会

【みことばの黙想】『みことばが成就するために』エズラ記1章1~11節

「主のことばが成就するために、主はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。」1:1
 神様は、預言者エレミヤによって語られた約束を成就するために、ペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた(1節)。約束とは、バビロン帝国に捕らえられていたユダの民が、70年後にエルサレムに帰還するというものである(エレミヤ29:10)。預言者イザヤは、キュロスが歴史上に登場する150年も前に、実名で預言している。「キュロスについては『彼はわたしの牧者。わたしの望むことをすべて成し遂げる』と言う。エルサレムについては『再建される。神殿はその基が据えられる』と言う。」(イザヤ44:28)。神様は、異邦人のキュロスによって、ご自身の望むことを成し遂げられた(1~11節)。神様は私たちに、みことばを与え、ご自身の大いなる計画を成し遂げようとしておられる。与えられたみことばの約束を、しっかりと握っているだろうか。なかなか自分の思うように実現しないため、苛立ったり、あきらめたりして、約束のことばを手離していないだろうか。神様の計画は偉大であり、私たちの思いを超えている(イザヤ55:9)。神様はキュロスにしたように、あなたによって望むことを成し遂げようとしておられる。今一度、主のみことばを握ろう。主はあなたの霊を奮い立たせ、ご自身のわざを成し遂げられるだろう。

2024年7月7日 礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2024年7月7日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。※音声のみの配信です。

 

メッセンジャー:檜垣正裕師

聖書箇所:サムエル記 第一 7:11〜12

タイトル:ここまで主が私たちを助けてくださった

西宮福音教会

【みことばの黙想】『礼拝の回復』歴代誌 第二29章1~36節

「彼はその治世の第一年の第一の月に、主の宮の戸を開いてこれらを修理した。」29:3
 ヒゼキヤはユダの王に即位してすぐ、宮を修理し、聖別した(3~19節)。彼の父アハズが、主を捨てて異教の神を拝み、国を堕落させたため(6~9節)、ユダ王国が主に立ち返ることが、第一になすべきことと示されたからである(10節)。「主の宮の戸を開く」ことは、主との交わりの回復を求める行為である。それは礼拝の回復である。主を礼拝するために、宮をきよめ、律法に従い罪のきよめのささげ物、全焼のささげ物をささげ、全イスラエルの宥めがなされた(20~24節)。みことばに基づいた正しい礼拝は、霊的な回復をもたらす。民は感謝と喜びに満たされて、自ら進んで献げものを携えて来た(27~33節)。主イエス・キリストは、ご自身によって神と人とを和解させ、罪人を礼拝者に変えてくださった。私たちの礼拝が受け入れられるのは、ただキリストの贖いのみわざによる。御名によって大胆に恵みの御座に行き、主との交わりを楽しもう。御霊に委ね、主の深く広い愛を受け取ろう。形骸化した礼拝は霊が枯渇する。キリストが回復してくださったのは、霊とまことによる礼拝である(ヨハネ4:23)。

2024年6月23日 礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2024年6月23日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

メッセンジャー:檜垣正裕師

聖書箇所:ローマ人への手紙8:1〜11

タイトル:いのちの御霊の律法と罪と死の律法

西宮福音教会

【みことばの黙想】『賛美による勝利』歴代誌 第二20章1~23節

「主に向かって歌う者たちと….聖なる装いをして賛美する者たちとを任命した」20:21
ヨシャファテの治世に、モアブ人、アンモン人、セイル山の人々の連合軍が、大軍で、ユダ王国を攻めて来た(1,2節)。ヨシャファテはユダの全土に断食を呼びかけ、民は集まって来て、主を求めた(3,4節)。「ただ、あなたに目を注ぐのみです。」(12節)。主だけに拠り頼むとき、主は必ず答えてくださる。主の霊がヤハジエルに臨み、「これは神の戦いである」(15節)、「堅く立って、ともにおられる主の救いを見よ」(17節)と預言した。主は私たちの苦難を、ご自身のものとして受け留められ、立ち向かってくださる。私たちのすることは、ともにおられる主に目を注ぐことである。そして主の勝利をほめたたえることである。ヨシャファテとユダの民は、主が戦われ勝利されることを信頼し、主に大声をあげて賛美し、礼拝した(18,19節)。出陣のとき、武装した者たちの前に賛美する者たちを配置し、彼らが喜びの賛美の声をあげ始めると、主は伏兵を設けて敵を打ち負かされた(20~22節)。主を賛美するとき、主の喜びに満たされ、信仰は引き上げられる。敵は近づくことはできず、敗走していく。賛美は私たちにとって、霊的な武器なのだ。どんなときも主に目を注ぎ、賛美しよう。主は私たちの賛美を喜ばれる。

2024年6月16日 礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2024年6月16日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

メッセンジャー:檜垣正裕師

聖書箇所:ローマ人への手紙7:1〜25

タイトル:良いものが死に導く矛盾

西宮福音教会

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