2024年6月9日の礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2024年6月9日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

特別賛美:谷有恒兄「私は山に向かって」

 

メッセンジャー:山本峻師

聖書箇所:使徒の働き3:17〜26

タイトル:祝福の回復

西宮福音教会

【みことばの黙想】『主を求める』歴代誌 第二1章1~13節

「ソロモンと会衆はそこで主を求めた。」1:5
 南ユダ王国の王に即位したソロモンは、会衆とともに、モーセの幕屋のあったギブオンに赴き、主を礼拝した(2~6節)。主を求めるとは、主を捜す、主に要求することである。「あなたがたがわたしを捜し求めるとき…わたしはあなたがたに見出される」(エレミヤ20:13,14)。主は求める者に、必ずご自身を現される。ソロモンが主を求めて礼拝した夜、主はソロモンに応え、ご自身を現された。「あなたに何を与えようか。願え。」(7節)。驚くことに、主がご自身に要求するよう求められたのである。主は愛する者たちに、喜んで与えてくださる方である。イエス様は私たちを救うために、ご自身のいのちをも惜しまずに与えてくださった。「わたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげます。」(ヨハネ14:13)。私たちの必要のすべてを主は知っておられる。それでも求めるように要求されるのは、本当に必要なものを、私たちが知るためではないだろうか。「神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6:33)。これこそ私たちが第一に求めることである。

2024年6月2日 礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2024年6月2日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

メッセンジャー:檜垣正裕師

聖書箇所:ルカの福音書24:13〜32

タイトル:エマオ途上

西宮福音教会

【みことばの黙想】『走るべき道のりを』テモテへの手紙 第二4章6~8節

「私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」4:7
 人生はマラソンにたとえられることがある。変化のない淡々とした道が続き、ゴールが見えないように感じる時もあれば、厳しい上り坂と下り坂の連続で、リタイアしたくなる時もある。それぞれの信仰者には、走るべき道のりがある。ゴールには「義の冠」が用意されている(8節)。走るときに必要なものは信仰である(7節)。ひたすら前に向かって、イエス様から目を離さずに走ることである(ピリピ3:13,へブル12:2)。しかし、信仰に戦いを挑むものがある。最大のものは自我と言えるだろう。パウロは「勇敢に戦い抜き」と言っている(7節)。パウロの勝利の秘訣は十字架にあった。十字架は、自我の完全な死をもたらし、復活のキリストが生きるところである。そこに聖霊が豊かに働かれ、キリストの栄光が現れる。パウロは「私はすでに注ぎのささげ物となっています」と言った(6節)。注ぎのささげ物は、聖別のために注がれる油、ぶどう酒である。主に完全に明け渡し、主のために聖別された者として生きたことを告白したのである。私たちが走るべき道のりは、主と一体となった私として走るように用意された道のりである。主に完全に委ねるなら、最後まで走り終え、信仰を守り通すことができる。

【みことばの黙想】『御霊に集められて』歴代誌 第一12章1~22節

「ついに神の陣営のような大陣営となった。」12:22

サウル王から逃れてツィクラグにいたダビデのもとに、彼を助けるために、イスラエル各部族の勇士たちが集まってきた。その数は日に日に増え、「ついに神の陣営のような大陣営となった。」(22節)。彼らがやって来たのは、人間的な野心からではない。御霊におおわれた補佐官の長アマサイが語ったように、神の御霊に導かれて来たのである(18節)。ペンテコステの日に、聖霊が注がれて誕生した教会は、その後も聖霊によって全世界に拡大し、建て上げられていった(使徒1:8)。私たちは「血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれた」(ヨハネ1:13)。ともにキリストのからだを築き上げるように、御霊によって集められたのである(エペソ2:22)。「あなたを助ける者に平安があるように。まことにあなたの神はあなたを助ける。」(18節)。主は御霊である(Ⅱコリント3:17)。互いに愛し合い、助け合うために、教会に御霊の賜物が分け与えられている。キリストのからだなる教会が、御霊に信頼して委ねていくとき、キリストの満ち満ちた姿を現わしていくようになる(エペソ1:23)。そして「神の陣営のような大陣営」の姿を世に示していくだろう(22節)。

【みことばの黙想】『御霊による聖別』テサロニケ人への手紙 第二2章1~17節

「御霊による聖別と、真理に対する信仰によって…」2:13
 主の日は必ず来る。主の日とは、神が御怒りをもって地上をさばかれる日である(Ⅰテサロニケ1:10)。その日がいつかは誰にもわからないが、その前に不法の者、すなわち滅びの子である反キリストが現れる(3節)。反キリストはサタンの働きによって到来し、あらゆる悪の欺きをもって人々に臨む。福音の真理を受け入れなかった人々は惑わされ、偽りを信じるようになり、主の日に、反キリストとともにさばかれる(9~12節)。しかし主にある聖徒たちは、この御怒りから救われるように選ばれている(13節)。「真理に対する信仰によって」(13節)。真理はキリストにある。十字架の身代わりの死は、私たちを真理によって聖別するためだった(ヨハネ17:19)。古き人が十字架によって切り離され、御霊によって新しく生まれることで、神の国、すなわち真理による自由の中を生きるようになる(ヨハネ3:5)。御霊は私たちに教え、天に属するものを判別させ、聖さを身に帯びさせてくださる(13節)。この終わりの時代、惑わしが強くなる。ますます聖霊により頼み、聖霊とともに親しく歩んで行こう。ペンテコステの日に、激しい風のように臨まれた聖霊様。今ふたたび吹いてきて、主の教会を聖め別ってください!

【みことばの黙想】『主の栄光のために』列王記 第二20章1~11節

「わたしのために、わたしのしもべダビデのためにこの都を守る。」20:6
 ヒゼキヤは宗教改革を行い、偶像礼拝で堕落してしまった南ユダ王国を建てなおした王である。南ユダ王国がアッシリア帝国の脅威にさらされていた時、ヒゼキヤ王は死の病に冒された(1節)。預言者イザヤから「あなたは死ぬ。治らない。」と絶望的な言葉を聞いた時、ヒゼキヤは泣きながら祈った(1~3節)。主はヒゼキヤの祈りを聞かれ、彼を癒やすことと(5節)、さらに寿命を15年延ばすことを約束された(6節)。主は、ご自身の定めを翻されることがある。ヒゼキヤの祈りが、主の心を動かされたのは確かである(5節)。ヒゼキヤは「真実と全き心をもって、あなたの御前に歩み」と祈った(3節)。主の心を、自分のものとして生きてきたということである。主は、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現される(Ⅱ歴代誌16:9)。ヒゼキヤの全き心の叫びを聞かれた主は、彼の寿命を延ばされ、アッシリアからエルサレムを守り、ご自身の御名の栄光を現そうと心を変えられた。主は約束どおり、アッシリアを討ち、エルサレムを守られた(19:35)。主はすべてのことを、ご自身の栄光のために行われる。私たちが主と心を一つにして歩むために、十字架のみわざがあった。十字架により栄光は現わされる。

2024年5月12日 礼拝メッセージ

西宮福音教会

主の御名を賛美いたします。

2024年5月12日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

メッセンジャー:檜垣正裕師

聖書箇所:マルコの福音書16:1〜8、14〜20

タイトル:復活

西宮福音教会

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