主の御名を賛美いたします。
2025年7月13日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。
どうぞご覧ください。
メッセンジャー:山本峻師
聖書箇所:使徒の働き 9:32~43
タイトル:タビタ、クム
西宮福音教会
私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。 ガラテヤ 5章25節
主の御名を賛美いたします。
2025年7月13日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。
どうぞご覧ください。
メッセンジャー:山本峻師
聖書箇所:使徒の働き 9:32~43
タイトル:タビタ、クム
西宮福音教会
主の御名を賛美いたします。
2025年7月6日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。
どうぞご覧ください。
メッセンジャー:檜垣正裕師
聖書箇所:詩篇 8:3~8
タイトル:人とは何ものなのでしょう
西宮福音教会
「そして終わりの日には、主とそのすばらしさにおののく。」3:5
ホセアは、「姦淫の女と姦淫の子らを引き取れ」との神様の命令に従い、ゴメルを妻とした(1:2,3)。彼は自分の結婚生活を通して、神様のメッセージを伝えた預言者であった。
ホセアとゴメルの夫婦関係は、神様とイスラエルの関係を表している。イスラエルは、神様に愛され、神様と契約を結んだ民であるにもかかわらず、偶像礼拝によって、神様から離れてしまった。「夫に愛されていながら姦通している女を愛しなさい」(1節)。ホセアから離れて神殿娼婦になっていたか、あるいは女奴隷として売られていたゴメルを、ホセアが代価を払って買い戻すことで(2節)、神様は、イスラエルに対する変わらない愛を示された。北王国はアッシリアに、南王国はバビロンに、それぞれ滅ぼされ、王国はなくなったが(4節)、やがてイエス様が帰って来られ、王として治められる日が来る(3,5節)。
罪の奴隷であった私たちを、主は、そのいのちをもって買い戻してくださった。主の流された血潮により、主の花嫁とされ、花婿なる主が帰って来られる日を待ち望んでいる。
その日には「主とそのすばらしさにおののく」(5節)。「すばらしさ」は「恵み」とも訳されている。私たちがどのような者でも、神様は恵み深く、その愛は不変である。
主の御名を賛美いたします。
2025年6月29日の証礼拝の動画を本日より配信いたします。
どうぞご覧ください。
証:大西陽子姉、仲西涼兄、遠藤真理子姉、山本篤長老、宮地茂昭兄
西宮福音教会
「彼は以前からしていたように、日に三度ひざまずき、自分の神の前に祈って…」6:10
バビロン帝国に捕囚として連れて行かれたダニエルは、メディア・ペルシャがバビロンを滅ぼした後も、大臣としてメディア・ペルシャの王室で仕えていた。王は、すぐれた霊の宿るダニエルに、全国を治めさせようと思った(3節)。妬みにかられた大臣や太守たちは、ダニエルを訴える口実を見つけようとしたが、何の欠点も見つからなかったので、王以外に祈願することを禁じ、守らない者は獅子の穴に投げ込むという法令を制定するよう、ダレイオス王に求め、王は文書に署名した(4~9節)。そのことを知ってもダニエルは、自分の家の屋上の部屋に行き、いつもと変わらず「日に三度ひざまずき、自分の神の前に祈って感謝をささげていた」(10節)。ダニエルにとって神様はすべてであった。だから、何があっても神様を第一とし、神様を礼拝することは、ごく当たり前のことだった。
神様は獅子の穴に投げ込まれたダニエルを、無傷で助け出された(16~23節)。
ダニエルは霊的な礼拝者として生きた人であった。この世と調子を合わせることなく、自分自身を、神に喜ばれる聖い生きた供え物として献げていたからである(ローマ12:1,2)。神様は礼拝者を求めておられる。
主の御名を賛美いたします。
2025年6月22日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。
どうぞご覧ください。
メッセンジャー:吉井裕美香師
聖書箇所:ヨハネの福音書17:20~26
タイトル:一つにされる
西宮福音教会
「信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」11:1
へブル書1~10章を読むと、「望んでいること」(1節)とは、イエス様のことを指していることがわかる。イエス様は、人間を救うことのできる唯一の方である。イエス様は、目に見えないが生きておられる。なぜ、そう言えるのか。それは信仰による。
信仰によって、イエス様が生きておられる主であることを確信する。私たちの信仰は、思い込みや、私たちから出たものではなく、イエス様ご自身から与えられた信仰である。
信じたとき、イエス様と合わされて一体となったということは、私の信仰は、イエス様の信仰ということになる(ガラテヤ2:19,20)。この信仰で、天地創造のわざは、神のことばによることを悟る。見えるものではなく、見えないものに目を留めて生きる者に変えられているからである(3節)。
主は信仰をご覧になる。やがて、神様の御前に立ち、信仰の報いを受け取るときが来る(Ⅱコリント5:10)。信仰による証しを残す者でありたいと願う(2節)。
主の御名を賛美いたします。
2025年6月15日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。
どうぞご覧ください。
メッセンジャー:山本峻師
聖書箇所:使徒の働き9:19b〜31
タイトル:聖霊に励まされて
西宮福音教会
「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。」36:26
イスラエルの回復の預言である。土地の回復と(1~15節)、霊的回復が預言されている(16~38節)。イスラエルの回復は、主ご自身の聖なる御名のためになされる(22節)、主の一方的な恵みによるものである。主が「きよい水」を振りかけ、すべての汚れからきよめられる(25節)。キリストの十字架で流された血潮により、すべてのものは罪からきよめられた。信じる者は神の子とされるが(ヨハネ1:12)、このとき聖霊が働かれるのである。「新しい心と新しい霊」、「石の心を取り除き、肉の心を与える」(26節)。聖霊により、罪人から神の子へ、古き人から新しい人へ、肉の人から御霊の人へと変えられる。
神様は、聖霊によるイスラエルの霊的な回復を約束された。主に従うことができるのは、自分の意志ではなく、主の霊による(27節)。父なる神様は、御子によって新しい創造を成し遂げられた(ガラテヤ6:14,15)。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Ⅱコリント5:17)。私たちはキリストのうちにあって、すべてが新しくされている。
「あなたの神は、喜びの油で、あなたに油を注がれた。」1:9
キリストとは、「油注がれた者」という意味である。旧約の時代、油注ぎを受けたのは、王と祭司、預言者だった。イエスという名は、「神は救い」という意味を持つ。それゆえ、イエス・キリストは、すべての人を救う王であり、祭司であり、預言者として治める方ということであり、その名を呼ぶだけで、救われるのである(ローマ10:13)。
油注ぎは、神の働きのための力と権威を受けることである。父なる神様は、イエス様に無限に喜びの油を注がれたが(9節)、その油は聖霊である。主は、父の無限の愛の御霊を受けられたのである(ヨハネ3:34,35)。御霊の注ぎにより、主は救いのみわざを成し遂げられ、天で栄光をお受けになった。そしてペンテコステの日に、主の栄光の御霊は、教会に注がれた。「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。」(使徒1:8)。
教会は聖霊の油注ぎを受けた。地の果てまで主の証人となるための、神の力で覆われたのである。主の喜びの油である聖霊が、教会に満ちている。この聖霊により、聖霊の導きに委ねて、主を明らかにしていくことを、教会は委任されている。