「主の霊があなたの上に激しく下り、…新しい人に変えられます。」10:6
サウルはイスラエルの最初の王として、神に選ばれ(9:16)、サムエルから、王としての油注ぎを受けた(1節)。油注ぎは、王や祭司、預言者など、神から特別な務めに任命されたときになされた。油注がれたサウルの上に「主の霊が激しく下り」、預言者の一団とともに預言し(10節)、「新しい人に変えられた」(6節)。主の霊により、王としての力と権威を着せられたのである。
ペンテコステの日、父の約束の聖霊を待ち望んでいた人々の上に、炎のような舌がとどまった。皆は聖霊に満たされて、異言を語り始めた(使徒2:1~4)。聖霊に満たされた人々は力強く主を証しし、主の教会としての歩みが始まった(使徒4:24~35)。
教会はキリストのからだである。「油注がれた方」から流れる栄光の御霊に満たされている(エペソ1:23)。キリストのうちにあるので、古い人ではなく新しい人、肉の人ではなく御霊の人である。主の促しを覚えるなら、信頼して「手当たりしだいに何でもしなさい。神があなたとともにおられるからです」(7節)。御霊に従うなら、主の栄光を見る。
2026年3月8日 礼拝メッセージ
主の御名を賛美いたします。
2026年3月8日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。
どうぞご覧ください。
メッセンジャー:檜垣正裕師
聖書箇所:創世記 11:31〜12:9
タイトル:アブラハム
西宮福音教会
2026年3月1日 礼拝メッセージ
主の御名を賛美いたします。
2026年3月1日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。
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メッセンジャー:山本峻師
聖書箇所:使徒の働き16:25〜34
タイトル:牢の中の賛美
西宮福音教会
【みことばの黙想】『ハンナの祈り』サムエル記 第一1章1~28節
「私は主の前に、心を注ぎ出していたのです。」1:15
ハンナは不妊の女性であった(2節)。主が彼女の胎を閉じておられたからである(5節)。
主権は主にある。それゆえ、主によることと、あきらめて受け入れるのか。あるいは主権者である方に、子を与えてくださるように嘆願するのか。ハンナは後者であった。
「ハンナは立ち上がった」(9節)。主の前に心を注ぎ出して祈ったのである(15節)。そしてその祈りは、主のみこころにかなったのである。「男の子を与えられたら、その子を主にお献げします」という祈り(11節)。この祈りは聞かれ、ハンナはサムエルを産んだ(20節)。
当時のイスラエルは霊的暗黒時代にあり、神様は、主に全き献身をする者を求めていた。
サムエルは、母の祈りのとおり主に献げられ、主の預言者として堅く立てられ(3:20)、一生の間、イスラエルをさばいた(7:15)。主は、ご自身の願いをハンナの心にも起こさせ、祈り求めるように導かれた。主権は主にある。
私たちの祈りが、主のみこころにかなったものになりますように。
2026年2月22日 礼拝メッセージ
主の御名を賛美いたします。
2026年2月22日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。
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メッセンジャー:檜垣正裕師
聖書箇所:創世記 6:5〜22
タイトル:大洪水
西宮福音教会
2026年2月15日 礼拝メッセージ
主の御名を賛美いたします。
2026年2月15日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。
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メッセンジャー:檜垣正裕師
聖書箇所:創世記3:1~9、21
タイトル:人に罪が入る
西宮福音教会
【みことばの黙想】『知る・認める』ローマ人への手紙6章1~11節
「私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられた…」6:6
信仰は聞くことから始まる(10:17)。聞いた福音が信仰に結びつくためには、知らなければならない。「私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです」(6節)。「知っています」…キリストの十字架の事実(真理)を、知性で知っているだけでなく、私自身の主観的な体験として知っているのである。キリストの十字架に、私も一緒につけられたことを知っているのである。それは御霊の啓示によることである。知恵と啓示の御霊が「キリストにある」ことに目を開いてくださるから、「知っています」と言えるのである。「知ること」ができて、「認めること」ができる。「同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい」(11節)。「認めなさい」というのは、「計算しなさい」と訳すことができる。絶対的な変わらない事実を、そのまま受けなさいということである。キリストのゆえに、罪から解放され、キリストにある新しいいのちを生きている。信じた私たちは、キリストにある。この事実を私たちは知っている。そして認めている。
【みことばの黙想】『福音は神の力』ローマ人への手紙1章1~17節
「福音は、…信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。」1:16
「福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です」(16節)。「力」と訳されているギリシャ語の「デュナミス」は、ダイナマイトの語源となっており、神の力は爆発的なものであることがわかる。また「奇蹟」、「強さ」とも訳される。福音に働く神の力は、人間の思いを超えたものである。
神の御子が、人としてこの世にお生まれになったこと(3節)、死者の中から復活されたことは(4節)、奇蹟であり、爆発的な力が働かなければできないことである。神はこの力をキリストのうちに働かせて、すべての人の救いのわざを成し遂げられた。人はキリストのゆえに、信じる信仰によって神に「義とされる」のである(17節)。これが神の恵みである。そして恵みは「デュナミス」である。
福音は神の力である。そして福音とはイエス・キリストご自身である。誰でも信じる者はキリストにある。キリストの十字架に合わされて、古き人は死に、キリストの復活に合わされて、御霊により新しく生まれた。私たちはキリストとともに天にある。やがての日に、私たちは、朽ちないからだに復活する。神の力は今、信じる者のうちに働いている。
2026年2月8日 礼拝メッセージ
主の御名を賛美いたします。
2026年2月8日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。
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メッセンジャー:山本峻師
聖書箇所:使徒の働き15:1〜12
タイトル:エルサレム会議
西宮福音教会
【みことばの黙想】『主に従い通す』ヨシュア記14章6~15節
「しかし私は、私の神、主に従い通しました。」14:8
カナンの地の偵察のために、遣わされたイスラエル12部族の族長の内10人は、カナンに住む人々を恐れて「民の心をくじいた」(8節)。ヨシュアとカレブだけが信仰をもって、約束の地を占領できると報告した(民数記14:6~9)。カレブは、自分の心にあるとおりを報告したのである(7節)。「私たちはぜひとも上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます」(民数記13:30)。なぜなら「主が私たちとともにおられる」という信仰に立ったからであった(民数記14:9)。約束の地に入ったあとも、彼のこの信仰は揺らぐことなく(10~12節)、「主に従い通した」(8節)。
「主に従い通す」という言葉は、期間にして人生の最後までということになる。生涯に渡って、自分ではなく主を選ぶことである。パウロは生涯の終わりに、「私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました」と言った(Ⅱテモテ4:7)。自分ではなく主が生きている生涯であった(ガラテヤ2:20)。戦い抜く力も、走り抜く力も、主からのものであるという信仰…。主に従い通したカレブは、かつて偵察に行った10人が恐れたアナク人のいる地、ヘブロンを相続地として所有した(12~15節)。
主に従い通す者には、義の栄冠が用意されている(Ⅱテモテ4:8)。
