ゴスペルワークショップ開催

5月から全6回の予定でゴスペルワークショップを開催します。

クリスチャンかどうか、ゴスペルの経験の有無、年齢に関わらずゴスペルに興味がある方はぜひお越しください。(事前申込受付中です。)

1回の参加費1000円でプロの指導が受けられます。

とりあえず1回参加してみませんか?きっと続けていきたいと思うはず・・・

練習の成果は12月の教会のクリスマスコンサートで披露する予定です。

詳しくはコチラ↓

2024年9月15日 礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2024年9月15日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

メッセンジャー:山本峻師

聖書箇所:使徒の働き 5:12〜21

タイトル:いのちのことばをすべて語りなさい

西宮福音教会

【みことばの黙想】『私はいつも主と』詩篇16編1~11節

「私はいつも、主を前にしています。主が私の右におられるので…」16:8
 表題「ダビデのミクタム」とは、「ダビデの最高に美しいの詩の中から」と訳すことができるそうである。「あなたこそ私の主。私の幸いは あなたのほかにはありません。」(2節)と告白しているように、主はダビデのすべてであった。あふれる主への賛美と献身が、最高に美しい詩となった。「あなたに身を避ける」(1節)、「主が私へのゆずりの地」(5,6節)。ダビデは自分が、主の大いなる御手の中で生かされていることを信じていた。だから「私はいつも、主を前にしています」(8節)と言うことができたのだ。常に主の御顔を拝し、常に主の後をついていく。主に見捨てられることは決してない(ヨシュア1:5)。「主が私の右におられるので 私は揺るがされることがありません。」(8節)。右は「信頼」、「力」を表す。結婚式では、花嫁は自分の右側に立っている父親の左腕につかまって入場する。父親が花嫁を花婿に委ねた後、花嫁の右側には花婿が立つ。花婿と花嫁は「一体となって」生きていくのである(エペソ5:31)。教会はキリストの花嫁である。十字架の贖いによって、すでにキリストと一体とされている(ガラテヤ2:19,20)。このキリストから力と平安と喜びをいただいている(3~11節)。だから決して揺るがされることはない(8節)

【みことばの黙想】 『人とは何ものなのでしょう』詩篇8編1~9節

「人とは何ものなのでしょう。あなたが心に留められるとは。」8:4

 この詩篇には、作者であるダビデの驚きが記されている。神の偉大な力に対する驚きと(1,9節)、その神様が、人を心に留めてくださっていることへの驚きである(4節)。何ゆえに神様が人を顧みられるのか。神様の恵みの深さを知るたびに、この思いを持つのではないだろうか。神様は天地を創造されたとき、人をご自身のかたちとして造られた(創世記1:26)。そのとき神様は、どれほど人を喜ばれたことだろう。人が罪によって、神様から離れても、神様の人への愛は失われることはなく、御子によって、その愛を明らかにされた。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された」(ヨハネ3:16)。このキリストによって贖われ、純粋に主により頼む「幼子、乳飲み子」なる教会によって、神様は御国を打ち立てられる(2節)。主の教会は、キリストという堅固な岩の上に据えられている(マタイ16:18)。キリストは再び来られ、万物をその足の下に置かれ、王として治められる(5~8節)。そのとき主の教会は、主の栄光を反映させ、主と同じかたちに姿を変えられている(Ⅱコリント3:18)。御国を受け継ぎ、永遠に主とともに生きる者とされたとは「人とは何ものなのでしょう」(4節)。主にすべての栄光をささげます。

【みことばの黙想】『嵐の中から』ヨブ記40章1~24節

「主は嵐の中からヨブに答えられた。」40:6
 主が嵐の中から答えられたのは、聖書中、ヨブに対してだけである。自分の正しさを主張し、ともすれば主を非難し、主と争おうとしていたヨブに(2節)、はっきりとご自身を啓示されたのである。ヨブは主に対して、自分は取るに足りない者で、二度と口答えしませんと答えたが(4,5節)、主はたたみかけるように、ご自身の力を説かれた(8~24節)。それはヨブが表面的、一時的ではなく、完全に神様に信頼して、明け渡す者となるためであった。「非難する者が全能者と争おうとするのか。神を責める者は、それに答えよ。」(2節)。この箇所は「全能者と争おうという者がもう降参か。神と対決する者らしく反駁せよ」との訳もある。強靭な河馬を治められるのは、全能なる神様だけである(15~24節)。私たちが神様のさばき(支配力、統治力)を目の当たりにしたら、何も言い返せず降参するしかないだろう(8~14節)。私たちはもっと、神様を知ることを求めるべきである。主を知ることは、明け渡すことに比例する。御前に出て、両手を上げよう。自分を捨て、主に完全に降参しよう。そうするなら天的な視点が開かれ、心が平安に支配されるようになる。それは、主が、どれほど深くあなたを愛しているかがわかるからである。

2024年8月25日 礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2024年8月25日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

メッセンジャー:檜垣正裕師

聖書箇所:ヨハネの黙示録 19:11〜20:6

タイトル:キリストの再臨

西宮福音教会

【みことばの黙想】 『みこころにかなうことを』ヨブ記31章1~40節

「私は自分の目と契約を結んだ。」31:1
 「私は自分の目と契約を結んだ」と語っているが(1節)、これは目を通して多くの誘惑が入ってくるので、その目と契約を結んで誘惑が体内に入らないようにした、という意味だそうである。われわれにとって罪を犯さないことが正しいことなのであろうか。神は人を創造されるとき、「われわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう」(創世記1:26)と言われた。そこには神の、人に対する大いなる期待が秘められている。神は、人がその期待にこたえることができるように、すべてのものを創造された後に、人間をお造りになったのである。そのような人間が、ただ悪いことをしないだけでは、神の前に正しいとは言えない。神のみこころにかなうような生き方をして、はじめて、神の前に正しいと言えるのである。あなたの目標は悪いことをしないことではなくて、神のみ旨に従って生きることである。神は今日、あなたにそれを求めておられる。
―榎本保郎著「旧約聖書 一日一章」より抜粋―

2024年8月18日 証と礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2024年8月18日の証と礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

ユースキャンプの証(3名)

 

メッセンジャー:山本峻師

聖書箇所:使徒の働き 4:32〜37

タイトル:すべてを共有していた

西宮福音教会

【みことばの黙想】『暗黒に覆われても』ヨブ記23章1~17節

「しかし、闇によって私が黙らされることはない。」23:17

 ヨブは毎日うめきながら、神様を求めて祈っていた(2節)。神様に直接会って、心にある思いをすべて訴えたい、そして神様の答えを知りたいという思いを持って(3~5節)。祈りを通して、ヨブの心が揺れ動き、葛藤しているのが見える。神は、御前に正しく、正直に生きてきた自分に、必ず目を留めてくださる(6,7,11,12節)。しかし今、神を見失っている(8,9節)。神のみこころは一つであり、定められたことを成し遂げられる(13,14節)。計り知ることができない神のご計画の前に、恐れ、おびえている自分(15,16節)…。私たちも、このヨブのような葛藤を覚えながら祈るときがあるのではないだろうか。なぜ苦しむのか。祈りの答えはどこにあるのか。神様を求めても見出せない…。ヨブは、神様を捜し求めることをやめなかった。そして一つの答えを見つけ出した。「神は光であり、神には闇が全くない」ということを(Ⅰヨハネ1:5)。主は私たちのために、そのいのちをかけて、闇に打ち勝たれた。たとえ自分の置かれた環境が、暗闇のようであっても、闇によって黙らされることはない(17節)。主は必ず、あなたにご自身の光を照らされる。

【みことばの黙想】『ヨブ記からの暑中見舞い』ヨブ記9章5~10節

「神は牡牛座、オリオン座、すばる、それに南の天の間を造られた。」9:9

暑さで弱っている時、ヨブ記を読むがいい。ヨブ記全体が、暑い夏の夜空に星を見る様子を示している。壮大な情景を表しながら、「水は海から消え去り、川は干上がり、涸れる。」(14:11)と、空から見えるような真理を語っている。このような、みことばに接すると、人生について深く考えさせられ、日常の小さな出来事から解放される思いになる。

ヨブ記には、神ご自身の深みから吹き上がってくる涼風が漂っている。聖霊の風は決して激しい風だけではなく、心地よく、やさしい涼風もあるのだ。

暑い夏、帆を大きく張って、この聖霊の風をいっぱいに受け、あなたの船を進めよう。

―堺福音教会発行「そよ風の吹くころ」より抜粋―

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