【みことばの黙想】『神を恐れる者は幸い』伝道者の書8章9~14節

「しかし私は、神を恐れる者が神の御前で恐れ、幸せであることを知っている。」8:12
 この世では、悪人がすぐにさばかれず、かえって栄え、長生きしているのを見ることがある(11,12節)。不条理とも思える世にあって、伝道者は「悪しき者には幸せがない」と断言している(13節)。なぜならば、「彼らが神の御前で恐れないからだ。」(13節)。「主を恐れることは知識の初め」である(箴言1:7)。私たちは、どのようにして主を恐れる者となっただろうか。イエス様の十字架の贖いがなければ、滅びるしかない罪人の自分を知ったときではないだろうか。人間は、自分の命を延ばすことも、救うこともできない(13節)。罪人は必ず永遠の死に至る。しかし、その罪人の身代わりに、イエス様が死んでくださり、よみがえられたことによって、人は罪赦され、永遠のいのちを与えられる。イエス様を信じること。これが主を恐れることである。「わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)。私たちは、やがて地上の生涯を終える日が来る。そのとき、主のみもとに行き、後の日に栄光のからだでよみがえる希望をいただいている。だから、主を恐れる者は幸いである(12節)。目に見える世界にとらわれて、必要以上に憂えるのではなく、見えないけれど、永遠に生きておられる方に目を留めよう。「あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望み」(コロサイ1:27)。

2025年2月2日 礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2025年2月2日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

メッセンジャー:檜垣正裕師

聖書箇所:サムエル記 第一 7:10〜12、エペソ人への手紙2:1〜10

タイトル:記念碑の教えるもの

西宮福音教会

2024年12月22日 クリスマスゴスペルコンサート

2024年12月22日(日)西宮福音教会のクリスマスゴスペルコンサートから

半年間のワークショップで練習した賛美を披露しました!

季節感はズレていると思いますが、ぜひご視聴ください。

 

「God Is Great」

「Agnus Dei「Draw Me Close to You」

「この両手広げて」

「Gloria Alleluia」

西宮福音教会

【みことばの黙想】『幻がなければ』箴言29章18節

「幻がなければ、民は好き勝手にふるまう。」29:18
 「幻」は、英語の聖書では「vision(ビジョン)」と訳されている。ビジョンというと、自分の夢や目標など、自己実現的な意味に捉えがちである。しかし聖書に書かれている「幻」は、神様が与えられる「天からの啓示」である。「幻がなければ、民は好き勝手にふるまう。」とある。人々は好き勝手に生きており、ますますそれが加速されていくのを見ると、この世に必要なのは、主の幻であることがわかる。主の幻は、すでにこの世界に与えられている。「天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたは見ることになります。」(ヨハネ1:51)。イエス様は、天と地をつなぐ、はしごとなるために十字架にかかられた。主を信じる者は、天のすべての霊的祝福を与えられ、天のものをこの地にもたらすことができる。神の民である私たちが、天からの啓示に従って生きるなら、地の祝福となる。口語訳聖書では「預言がなければ」と訳されている。「預言」は神から預かったことばのことで、それは聖書のことばである。天からの啓示は聖書の中にある。18節の後半には「みおしえを守る者は幸いである。」と書かれている。日々、聖書を読む中で、天からの啓示を心に留めて、そのことばに従って生きていこう。各々に与えられるみことばのピース(一片)が集められるとき、天的教会のビジョンを見出すだろう。

2025年1月19日 礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2025年1月19日の礼拝のメッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

メッセンジャー:檜垣正裕師

聖書箇所:使徒の働き1:3〜11

タイトル:エルサレムから地の果てまで

西宮福音教会

【みことばの黙想】『柔和な者』箴言21章29節

「悪しき者は厚かましいが、直ぐな人は自分の道をわきまえる。」21:29
 リビングバイブルでは、「悪人は強情ですが、神を恐れる人は、悪いとわかれば素直に考え直します。」と訳されている。間違いは誰にでもある。うっかり、罪を犯してしまう場合もある。そのような時、素直に自分の非を認めることができるかどうかが、大切である。私たちはイエス様を信じたとき、自分が罪人であることがわかった。そして悔い改めて、信仰告白をし、義と認められた(ローマ10:9,10)。素直に罪を認めて、主に向きを変えたのである。その結果、救われて、永遠のいのちを受けた。主の御霊が内に住んでくださり、あふれるばかりの主の愛を知る者となり、神様を愛する者に変えられた。御霊は柔和である。御霊に導かれるなら、強情になることはないだろう。「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」(マタイ5:5)。やがて私たちは、新しい天と地を相続する。御国の相続人にふさわしく、柔和な者でありたいと願う。御霊に導かれて歩もう。主にあるなら、御霊の思いをわきまえ知ることができる(Ⅰコリント2:14~16)。たとえ罪を犯しても、主は赦してくださる。「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(Ⅰヨハネ1:9)。だから強情になってはいけない。

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