2026年2月1日 礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2026年2月1日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

メッセンジャー:林ハンナ神学生

聖書箇所:マタイの福音書6:25〜34

タイトル:第一に求めることは

西宮福音教会

【みことばの黙想】『ギルガル』ヨシュア記5章1~9節

「それで、その場所の名はギルガルと呼ばれた。」5:9
 ヨシュアが率いるイスラエルは、ヨルダン川を渡って約束の地カナンに入った。カナンの王たちは、主がヨルダン川を涸らして、イスラエルを渡らせたことを聞き、すでに戦う気力を失っていた(1節)。勝利はすでに、イスラエルの手にあったが、主は彼らに「割礼」を施すように命じた(2節)。エジプトを出たときの民は割礼を受けていたが、荒野で生まれた民は無割礼だったからである(3~7節)。割礼は、主との契約のしるしである(創世記17:9~14)。自分を主に献げることを意味している。
「今日、わたしはエジプトの恥辱をあなたがたから取り除いた。それで、その場所の名はギルガルと呼ばれた」(9節)。ギルガルは「転がす」という意味である。主が、奴隷であったエジプトの地から、約束の地へと「転がして」くださった。イスラエルが、主の契約の民として地を受け継ぎ、主に従って生きるためであった。
 かつて罪の奴隷であった私たちを、主は救い出し、ご自身のものにしてくださった。
主の十字架は、私たちのいっさいの恥辱を「転がして」くださり、闇から光へと移された。主の光に照らされて、御国を受け継ぐ者として歩んでいる。

2026年1月18日 礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2026年1月18日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

メッセンジャー:檜垣正裕師

聖書箇所:ヨハネの福音書 21:1~14

タイトル:舟の右側に網を打ちなさい

西宮福音教会

【みことばの黙想】『みことばとともに』申命記30章11~20節

「みことばは、あなたのすぐ近くにあり…あなたはこれを行うことができる。」30:14
汚  イエス様は神のことばである(ヨハネ1:1)。ことばなる神が世界を創造され(ヨハネ1:3)、人間を罪と死の力から解放され、いのちを与えられた(ヨハネ1:4,5節)。
信じる者の内に、みことばなるイエス様は住まわれている。「みことばは、あなたのすぐ近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。」(14節)。
「あなたにとって難しすぎるものではなく」(11節)…聖書を読むとき、理解しがたいと感じることがあるかもしれない。イスラエルの慣習などは、馴染みがないのでわからないことも多い。しかし聖書は、内におられる「みことばなる神」とともに読む書物である。信じる者には、主の御霊が住んでおられる。御霊が解き明かしてくださるとき、「ことば」によって、私たちの霊のいのちは育まれる。「主を愛し、御声に聞き従い、主にすがる」(20節)、健康的なクリスチャンとして、祝福の道を歩んでいく。
「あなたはいのちを選びなさい」(19節)。いのちへの道は、みことばに従って歩むことである。クリスチャンは、みことばとともにある。

【みことばの黙想】 『聖霊に励まされて』使徒の働き9章1~31節

「こうして、教会は…主を恐れ、聖霊に励まされて前進し続け…」9:31

「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます」(1:8)と、イエス様の語られたことばのとおり、聖霊が臨み、聖霊に満たされた教会は、「ユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地にわたり築き上げられて平安を得た」(31節)。

 聖霊は、イエス様が十字架のみわざを成し遂げられ、よみがえられ、天で栄光を受けられた証しである(ヨハネ7:39)。その栄光の御霊が教会に注がれた(2:1~4)。

 主の栄光の御霊は、教会を建て上げるために、当時、教会を迫害していたパウロに臨まれた(1~9節)。主と出会い、新しくされたパウロは、主によって、おもに異邦人のための使徒に任命され(15節)、多くの異邦人教会を建て上げた。

また御霊なる主はアナニアに、パウロの目が見えるようになり、聖霊に満たされるために祈るよう語りかけ、アナニアはそのとおり行った(10~18節)。バルナバは、与えられている励ましの賜物で、教会とパウロの仲介役となり、パウロを助け(26~28節)、教会を建て上げることに心を注いだ。

主の教会は聖霊に導かれ、促された人々によって建て上げられてきた。すべては主の栄光の御霊のわざである。今年も聖霊に励まされて、前進し続けよう。

【みことばの黙想】『年の初めから年の終わりまで』申命記11章12節

「あなたの神、主が絶えずその上に目をとどめておられる地である。」11:12
絶えず私のことを心にかけ、目を注いでいてくださる方が、「絶えずその上に目をとどめる」と約束されている。

時に力強く、でも多くの場合には、さりげなく導いてくださる方が、私のそばにいると言える人は、なんと幸いであろう。振り返ると、いろんな出来事があったが、主はともにおられたではないか。試練や戦いの多い世にあって、心を打ち明けることのできるお方、親身になって聞いてくださるお方、ともに痛み、悩み、何よりも心の深みで、臨在の中に入れてくださったお方がいた。

元気を出しなさい(へブル12:3)、勇気を出しなさい(ヨハネ16:33)と、十字架につけられたお方が(Ⅰコリント2:2)、今日も励ましておられる。

―堺福音教会発行「流れのほとり」より抜粋―

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