【みことばの黙想】『知る・認める』ローマ人への手紙6章1~11節

「私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられた…」6:6
 信仰は聞くことから始まる(10:17)。聞いた福音が信仰に結びつくためには、知らなければならない。「私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです」(6節)。「知っています」…キリストの十字架の事実(真理)を、知性で知っているだけでなく、私自身の主観的な体験として知っているのである。キリストの十字架に、私も一緒につけられたことを知っているのである。それは御霊の啓示によることである。知恵と啓示の御霊が「キリストにある」ことに目を開いてくださるから、「知っています」と言えるのである。「知ること」ができて、「認めること」ができる。「同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい」(11節)。「認めなさい」というのは、「計算しなさい」と訳すことができる。絶対的な変わらない事実を、そのまま受けなさいということである。キリストのゆえに、罪から解放され、キリストにある新しいいのちを生きている。信じた私たちは、キリストにある。この事実を私たちは知っている。そして認めている。

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