2026年1月18日 礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2026年1月18日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

メッセンジャー:檜垣正裕師

聖書箇所:ヨハネの福音書 21:1~14

タイトル:舟の右側に網を打ちなさい

西宮福音教会

【みことばの黙想】『みことばとともに』申命記30章11~20節

「みことばは、あなたのすぐ近くにあり…あなたはこれを行うことができる。」30:14
汚  イエス様は神のことばである(ヨハネ1:1)。ことばなる神が世界を創造され(ヨハネ1:3)、人間を罪と死の力から解放され、いのちを与えられた(ヨハネ1:4,5節)。
信じる者の内に、みことばなるイエス様は住まわれている。「みことばは、あなたのすぐ近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。」(14節)。
「あなたにとって難しすぎるものではなく」(11節)…聖書を読むとき、理解しがたいと感じることがあるかもしれない。イスラエルの慣習などは、馴染みがないのでわからないことも多い。しかし聖書は、内におられる「みことばなる神」とともに読む書物である。信じる者には、主の御霊が住んでおられる。御霊が解き明かしてくださるとき、「ことば」によって、私たちの霊のいのちは育まれる。「主を愛し、御声に聞き従い、主にすがる」(20節)、健康的なクリスチャンとして、祝福の道を歩んでいく。
「あなたはいのちを選びなさい」(19節)。いのちへの道は、みことばに従って歩むことである。クリスチャンは、みことばとともにある。

【みことばの黙想】 『聖霊に励まされて』使徒の働き9章1~31節

「こうして、教会は…主を恐れ、聖霊に励まされて前進し続け…」9:31

「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます」(1:8)と、イエス様の語られたことばのとおり、聖霊が臨み、聖霊に満たされた教会は、「ユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地にわたり築き上げられて平安を得た」(31節)。

 聖霊は、イエス様が十字架のみわざを成し遂げられ、よみがえられ、天で栄光を受けられた証しである(ヨハネ7:39)。その栄光の御霊が教会に注がれた(2:1~4)。

 主の栄光の御霊は、教会を建て上げるために、当時、教会を迫害していたパウロに臨まれた(1~9節)。主と出会い、新しくされたパウロは、主によって、おもに異邦人のための使徒に任命され(15節)、多くの異邦人教会を建て上げた。

また御霊なる主はアナニアに、パウロの目が見えるようになり、聖霊に満たされるために祈るよう語りかけ、アナニアはそのとおり行った(10~18節)。バルナバは、与えられている励ましの賜物で、教会とパウロの仲介役となり、パウロを助け(26~28節)、教会を建て上げることに心を注いだ。

主の教会は聖霊に導かれ、促された人々によって建て上げられてきた。すべては主の栄光の御霊のわざである。今年も聖霊に励まされて、前進し続けよう。

【みことばの黙想】『年の初めから年の終わりまで』申命記11章12節

「あなたの神、主が絶えずその上に目をとどめておられる地である。」11:12
絶えず私のことを心にかけ、目を注いでいてくださる方が、「絶えずその上に目をとどめる」と約束されている。

時に力強く、でも多くの場合には、さりげなく導いてくださる方が、私のそばにいると言える人は、なんと幸いであろう。振り返ると、いろんな出来事があったが、主はともにおられたではないか。試練や戦いの多い世にあって、心を打ち明けることのできるお方、親身になって聞いてくださるお方、ともに痛み、悩み、何よりも心の深みで、臨在の中に入れてくださったお方がいた。

元気を出しなさい(へブル12:3)、勇気を出しなさい(ヨハネ16:33)と、十字架につけられたお方が(Ⅰコリント2:2)、今日も励ましておられる。

―堺福音教会発行「流れのほとり」より抜粋―

【みことばの黙想】『約束の地に向かって』申命記3章23~29節

「ピスガの頂に登り、目を上げて…あなたのその目でよく見よ。」3:27
40年間の荒野の旅が終わり、イスラエルの民は、約束の地カナンを目の前にしていた。神様はモーセに「ヨルダン川を渡って、約束の地に入ることはできない」と言われた(27節)。それはモーセが、民のために水を与えてくださるように主に祈ったとき、主の言われたとおりにしなかったからである。主は「岩に命じよ」と言われたのに、モーセは「杖で岩を二度打った」(民数記20:2~13)。「主が聖である」ことを示さなかったのである(民数記20:12)。イスラエルをエジプトから連れ出し、約束の地を目指して40年の荒野の旅を導いて来たモーセは、約束の地を目前にしたとき、やはりその地に入りたいと、主に懇願したが、主は彼を激しく怒られ、願いは聞き入れられなかった(23~26節)。しかし後悔と嘆きでモーセの生涯が終わったわけではない。神様はモーセに、山の頂上から「約束の地」を見せてくださった(27節)。「乳と蜜の流れる約束の地を見た」モーセが、彼の後を引き継いで、イスラエルを導くヨシュアを励ますためだった(28節)。
今年も残りわずかとなった。来たる年がどのようであっても、主が帰って来られるまで、私たちの歩みは「約束の地」に向かっている。「目を上げて」、主が見せてくださる「約束の地」を見よう。互いに、また新しく加えられる人々とともに主を喜ぶために。

【みことばの黙想】『父の栄光』ヨハネの福音書15章1~11節

「わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになります。」15:8
 ぶどうの木のたとえから、天の御国について知ることができる。父なる神様の農園(御国)の中心に、ぶどうの木であるイエス様がおられる。枝である教会は、イエス様という、ぶどうの木につながってさえいるなら、豊かな実を結ぶのである(5節)。それはイエス様が「まことのぶどうの木」だからである(1節)。イエス様は父に愛され、父の愛にとどまっておられる(9,10節)。父とイエス様は一つであられる(17:22)。天の御国は父、御子、御霊の交わりである。私たちは「まことのぶどうの木」であるイエス様によって、この交わりの中に入れられている。イエス様のいのちは、教会に流れ、天の実を結ばせる。
私たちが実を結ぶとき、父が栄光をお受けになる(8節)。御国の栄光が現れるのである。実を結ぶことと主の弟子となることは、切り離せない(8節)。私たちは、どちらかというと、実を結ぶことに中心を置きがちではないだろうか。しかし神様にとっては、私たちが「弟子となる」ことの方が大事なのである。弟子とは「イエス様にある私」を生きることである。それは日々、主に委ねて生きることである。そうするときに、主が私から現れる。教会は父の栄光を現すために、この世に存在している。御国をこの地に現わすために…。 「いと高き所で、栄光が神にあるように」(ルカ2:14)。

2025年12月21日 クリスマス礼拝 聖歌隊賛美とメッセージ

主の御名を賛美いたします。

2025年12月21日のクリスマス礼拝の聖歌隊賛美とメッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

特別賛美:西宮EC聖歌隊

タイトル:Bethlehem Morning

 

メッセンジャー:檜垣正裕師

聖書箇所:ルカの福音書 2:1~7

タイトル:救い主がお生まれになりました

西宮福音教会

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