2024年8月11日 礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2024年8月11日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

メッセンジャー:檜垣正裕師

聖書箇所:ヨハネの黙示録 2:1〜17

タイトル:七つの金の燭台の間を歩く方

西宮福音教会

【みことばの黙想】『白い衣を着て』ヨハネの黙示録7章9~17節

「すべての国民、部族、民族、言語から…白い衣を身にまとい…」7:9

 地上のものはやがて消滅し、新しい天と地が訪れるときが来る。そのとき、すべての救われた人々は白い衣を着て主の御前に立ち、礼拝する(9~12節)。「この白い衣を身にまとった人たちはだれですか」(13節)。「この人たちは大きな患難を経てきた者たちで、その衣を洗い、子羊の血で白くしたのです」(15節)。世の終わりの大患難期に、信仰を貫き通して殉教した人々のことを言っている。私たち教会は、大患難期の前に天に挙げられていると思われるが、今の世にあっても、多くの困難に遭遇する。そのたびに、ともにおられる主に目を上げて切り抜けてきたし、これからもそうありたい。私たちは「その衣を洗い、子羊の血で白くした」主の民である。キリストとともに、すでに天にある(エペソ2:6)。この立場を恵みにより、信仰によって与えられた。私たちを贖うために、主がご自身のいのちをかけて罪と死に勝利されたからである。主の御前に立つ者は誰一人、自分の行いを誇ることはない。「救いは、御座についておられる私たちの神と、子羊にある」(10節)。やがて白い衣を身にまとい、御前で高らかに主の勝利を賛美する日が訪れる。主に希望の目を上げ、今日も勝利の主をほめたたえよう。

7月28日 礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2024年7月28日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。
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※Jキッズキャンプの報告と証しは音声のみです。

メッセンジャー:山本峻師
聖書箇所:使徒の働き 4:23〜31
タイトル:積極的な祈り

【みことばの黙想】『神のタイミング』エステル記6章1~14節

「その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じた。」6:1
 ペルシアの王に重んじられていたハマンは、ユダヤ人モルデカイの、自分への態度に腹を立て、ユダヤ人全員を絶滅させることを王に進言し、ユダヤ人殺害の法令を、ペルシア全土に公布するよう企てた(3章)。ハマンがモルデカイを柱にかけて処刑しようと準備していた時、王は「眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じた」(1節)。記録の書には、モルデカイの手柄が記されており、王はモルデカイに栄誉を与えるよう、ハマンに命じた(2~11節)。ハマンの策略は見事に覆され(12,13節)、ユダヤ人は絶滅の危機から救われた(7~9章)。神様はアブラハムを通して、すべての民を祝福すると約束され(創世記12:3)、その約束はイエス様によって実現した(ガラテヤ3:14)。イエス様は、人としてはユダヤ人としてお生まれになった(マタイ1:1)。もしユダヤ人が滅んでいたら、全人類の救いは成らず、アブラハムの祝福も実現しなかっただろう。神様の計画は必ず実現する。そのために、神様は絶妙のタイミングで介入される。王が眠れなかった「その夜」(1節)、ハマンが王宮の外庭に入って来た時(4節)、すべて神様が介入されるタイミングだった。神様は神の民のために、あらゆる状況を用いられる。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」(伝道者3:11)。

【みことばの黙想】『主は正しく真実である』ネヘミヤ記9章1~38節

「私たちに降りかかったすべてのことにおいて、あなたは正しくあられます。」9:33
 エルサレムの城壁が再建され、イスラエルの民は広場に集まり、律法の書の朗読に耳を傾けた(8:1~3)。律法に従って「仮庵の祭り」を祝った後(8:14~18)、断食して自分たちと先祖の罪を告白し、律法を朗読して主を礼拝し、大声で賛美した(1~4節)。礼拝で導かれた祈りは、神様の真実さに対し、先祖の時代から今に至るまでの、自分たちの不信仰と罪深さを告白するものだった。ペルシアの支配下に置かれ、苦しみの中にあるのは、神様に対して不信の罪を犯し続けてきたせいだと認める、悔い改めの祈りである(5~37節)。悔い改めは、神様に向きを変えることである。神様に向くと、神様の正しさと真実さがわかる。そして、いかに自分が神様に対して不遜であったかが、わかってくる(33節)。罪とは神様に従わないことであり、人間は罪人のゆえに、神様に従えない。「それにもかかわらず、あなたは赦しの神であり」(17節)。イエス様は罪人のために、ご自身をささげてくださった。私たちが今生きているのは、ただ神様の恵みによる。主はいつでも正しく真実である。御霊は私たちに、主の真実さに立つように導かれる。

【みことばの黙想】『主の忍耐』ペテロの手紙 第二3章1~18節

「私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。」3:15

 主が約束された再臨の日を、教会は待ち望んでいる。主は「だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです」(9節)。主は私たちのために、今すぐにでも帰って来られる用意があるに違いないが、それ以上に多くの救われていない人々のことを思い、忍耐しておられる。主は今の世を完全に滅ぼし(10節)、義の宿る新しい天と地をもたらされる(13節)。神様は滅びゆく魂を救い出すため、ご自身のみこころをともに負い、ともに刈り取る存在として、教会を選ばれた。教会は世の光として、主の再臨までの間、この世に置かれている。教会が主の栄光を現し、主の証人として生きるように、主は忍耐をもって導いておられる。「すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです」(9節)。「すべての人」であるから、私たちも含まれる。悔い改めは、自分に向くことから、主へと向きを変えて生きることである。その結果、覆いが取り除かれ(Ⅱコリント3:16)、光の子どもらしく歩むようになる。私たちが、しみも傷もない者として御前に立つ日を思いながら、イエス様は十字架を忍ばれた(へブル12:2)。主の忍耐に感謝し、すべての人が救われ、私たちが聖く敬虔に生きる者となりますように(11節)。

2024年7月14日 礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2024年7月14日の礼拝メッセージを本日より配信いたします。

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メッセンジャー:山本峻師

聖書箇所:使徒の働き 4:1〜22

タイトル:話さないわけにはいきません

西宮福音教会

【みことばの黙想】『みことばが成就するために』エズラ記1章1~11節

「主のことばが成就するために、主はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。」1:1
 神様は、預言者エレミヤによって語られた約束を成就するために、ペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた(1節)。約束とは、バビロン帝国に捕らえられていたユダの民が、70年後にエルサレムに帰還するというものである(エレミヤ29:10)。預言者イザヤは、キュロスが歴史上に登場する150年も前に、実名で預言している。「キュロスについては『彼はわたしの牧者。わたしの望むことをすべて成し遂げる』と言う。エルサレムについては『再建される。神殿はその基が据えられる』と言う。」(イザヤ44:28)。神様は、異邦人のキュロスによって、ご自身の望むことを成し遂げられた(1~11節)。神様は私たちに、みことばを与え、ご自身の大いなる計画を成し遂げようとしておられる。与えられたみことばの約束を、しっかりと握っているだろうか。なかなか自分の思うように実現しないため、苛立ったり、あきらめたりして、約束のことばを手離していないだろうか。神様の計画は偉大であり、私たちの思いを超えている(イザヤ55:9)。神様はキュロスにしたように、あなたによって望むことを成し遂げようとしておられる。今一度、主のみことばを握ろう。主はあなたの霊を奮い立たせ、ご自身のわざを成し遂げられるだろう。

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