【みことばの黙想】 『神の民の証印』創世記17章1~14節

「あなたがたは自分の包皮の肉を切り捨てなさい。」17:11
生後八日目になると、ユダヤ人の男子は割礼を受ける (12節)。割礼は、神様と、アブラハムとその子孫との間で結ばれた永遠の契約のしるしであり(7~11節)、神の民のしるしである。割礼は、アブラハムが信仰によって、義と認められたことの証印として与えられた(ローマ4:11)。今、イエス様を信じる者はすべて、信仰によって義と認められたので、割礼を受ける必要はない。神の民の証印は、キリストの御霊が与えられたことである(Ⅱコリント1:22)。この御霊によって、神の民は主の御前に歩み、全き者とされていく(1節)。御霊の働きを妨げるものは、肉である。十字架を仰ぐとき、古き人は十字架で死んだことを認めると同時に、神の御前に生きていることを確認する(ローマ6:11)。心の包皮を切り捨てるのは十字架である。外なる人が取り扱われ、切り捨てられ、取り除かれていくにつれ、内なる御霊によって歩むことが自然になる。私たちが天を生きるために、主は十字架の上で、ご自分を献げられた。クリスチャンの最高の礼拝は、自分のすべてを主に明け渡し、証印として与えられた御霊に従って歩むことである(ローマ12:1)。

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