【みことばの黙想】 『主イエスの血によって』レビ記17章10~14節

「いのちとして宥めを行うのは血である。」17:11
「すべての肉のいのちは、その血がいのちそのものである」(14節)。旧約聖書における契約、幕屋の礼拝の中心は、このことにある。「肉のいのちは血の中にある」(11節)ので、血を食べてはならなかった(10節)。血は注ぎ出されなければならない(13節)。血が注ぎ出されることによって、民の贖いがなされるのである(11節)。「これは、多くの人のために流される、わたしの契約の血です」(マルコ14:24)。イエス様が十字架で流された血によって、すべての人の贖いが完成した。人間は何の代価も払わず、イエス様を信じる信仰によって、永遠のいのちが与えられる。これが神の恵みである。「わたしの契約の血」…イエス様の血によって、私たちは罪赦され、神から切り離されることは決してない。私たちはイエス様と一体とされたのだから。イエス様の血は私たちを聖くする。「聖さがなければ、だれも主を見ることはできません」(へブル12:14)。私たちが神の聖さにあずかり、神を見るために、イエス様の血が流された。ほふられた小羊に誉れと栄光あれ!

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