【みことばの黙想】『ナバルとアビガイル』Ⅰサムエル記25章1~42節

「この女は賢明で姿が美しかったが、夫は頑迷で行状が悪かった。」25:3
 ナバルという名前の意味は「愚か者」である(25節)。「名は体を表す」と言うが、その名のとおりにナバルは頑迷で行状が悪かった(3節)。羊の毛の刈り取りの祝いの日には、祝福に訪れる客に、気前よくごちそうを振る舞うのが常であった。ナバルは非常に裕福であったにもかかわらず、ダビデの家来たちをののしり、素手で帰らせた(4~12節)。ダビデは主に油注がれ、サウルに代わってイスラエルの王となる人物である(16:13)。そのダビデと彼の家来たちに対する無礼な態度が、ナバルには神様への恐れがないことを明らかにしている。「主を恐れることは知識の初め」(箴言1:7)。一方、ナバルの妻アビガイルの名前の意味は「父は喜ぶ」である。彼女は、夫の愚かな行為に対するダビデの報復を食い止め、ダビデの王としての歩みに傷がつかないようにした(23~35)。「知恵のある子は父を喜ばせ」(箴言10:1)。私たちは主を知るほどに、また主のあふれる愛と、豊かな恵みに触れるほどに、主を恐れ敬う者となる。そして、主に対して誠実に歩むことを願うようになる。主はそのような者に、良いものを拒まない(詩篇84:11)。

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