【みことばの黙想】『主の苦難と慰めが』コリント人への手紙 第二1章3~11節

「キリストの苦難があふれているように…慰めもあふれているからです。」1:5
キリストは私たちのために十字架で苦しみを受けられ、死んでくださった。それゆえに、人間の弱さをよく知っておられ、どのような苦難をも慰めることがおできになる(4節)。人生で苦難や悲しみを通るとき、同時に、主からの深いあわれみと慰めを受ける。苦難は、より深く主を知るときとなる。「苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。それにより 私はあなたのおきてを学びました。」(詩篇119:71)。信じた私たちの内には主が住まわれている。だから私たちの体験するあらゆる苦難を、主もともに通られる。主の慰めとは、寄り添ってくださることにある。苦難が苦い体験で終わらないように、内側から慰めで満たしてくださるのである。主の慰めがあふれて、人々を慰めることで、主を証しする(4,5節)。今週は受難週である。主の十字架によって、私たちは罪の根源から切り離された。十字架は死で終わりではなく、復活による永遠のいのちへと至る。「私たちが自分自身に頼らず、死者をよみがえらせてくださる神に頼る者となるため」(9節)。主は私たちとともにおられる。教会は、この主にのみ希望を置く者たちの集まりである(10節)。

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