【みことばの黙想】『主と一つの心』列王記 第一15章1~6節

「ダビデが主の目にかなうことを行い」15:5
列王記は、ダビデの後継者ソロモンから南ユダ王国と北イスラエル王国の、歴代の王の治世の記録である。それぞれの王の善悪が、明確に記録されている。その評価の基準は、「父祖ダビデの心のように、彼の神、主と一つになって」いるかどうかであった(3節)。多くの王が主に従わず、罪のうちを歩んだが、主は「ダビデに免じて」王国を存続させられた(4節)。ダビデ王は大きな罪を犯したことがあったが(5節)、心からの悔い改めをもって主に立ち返り(詩51篇)、「主と一つになる」ことを求め続けた。イエス様は十字架にかかられる前、御父に「すべての人を一つにしてください」と祈られた(ヨハネ17:21)。ご自身の十字架のみわざが、その祈りを実現された。信じる者は主のうちにおり、主と完全に一つとされている(ヨハネ17:23)。そのため私たちを満たすことができるのは、主だけである。「私のたましいは 神を 生ける神を求めて 渇いています。」(詩42:2)。私たちの霊は主を慕い求めている。だから大胆に恵みの御座に行き、主の愛で満たしていただこうではないか。満ちあふれる御霊は、生ける水の川となって流れ出ていく(ヨハネ7:38)。そして、この乾いた地を生かしていくだろう(エゼキエル47:9)。

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