【みことばの黙想】『主の栄光のために』列王記 第二20章1~11節

「わたしのために、わたしのしもべダビデのためにこの都を守る。」20:6
 ヒゼキヤは宗教改革を行い、偶像礼拝で堕落してしまった南ユダ王国を建てなおした王である。南ユダ王国がアッシリア帝国の脅威にさらされていた時、ヒゼキヤ王は死の病に冒された(1節)。預言者イザヤから「あなたは死ぬ。治らない。」と絶望的な言葉を聞いた時、ヒゼキヤは泣きながら祈った(1~3節)。主はヒゼキヤの祈りを聞かれ、彼を癒やすことと(5節)、さらに寿命を15年延ばすことを約束された(6節)。主は、ご自身の定めを翻されることがある。ヒゼキヤの祈りが、主の心を動かされたのは確かである(5節)。ヒゼキヤは「真実と全き心をもって、あなたの御前に歩み」と祈った(3節)。主の心を、自分のものとして生きてきたということである。主は、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現される(Ⅱ歴代誌16:9)。ヒゼキヤの全き心の叫びを聞かれた主は、彼の寿命を延ばされ、アッシリアからエルサレムを守り、ご自身の御名の栄光を現そうと心を変えられた。主は約束どおり、アッシリアを討ち、エルサレムを守られた(19:35)。主はすべてのことを、ご自身の栄光のために行われる。私たちが主と心を一つにして歩むために、十字架のみわざがあった。十字架により栄光は現わされる。

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