【みことばの黙想】『主は不思議』士師記13章15~25節

「わたしの名は不思議という。」13:18

サムソンは、イスラエルをペリシテ人から救うため、生まれる前から神のナジル人として聖別されていた(3~5節)。主の使いは、このことを告げるためにマノアの妻に現れた。マノアは主の使いに名前を訊ねた。「わたしの名は不思議という。」(13節)。「不思議」は神様のご性質であり、神様だけが「不思議」をなさることができる。神様はご自分の御子イエス・キリストを、全人類の救いのために、この世に与えてくださった。神の御子が、人としてこの世にお生まれくださったこと以上の不思議はない。「信じてバプテスマを受ける者は救われます。」(マルコ16:16)。バプテスマは、イエス様と一体であることを現わすものである。信じる者には、次のようなしるしが伴う。「わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばで語り、その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒されます。」(マルコ16:17.18)。イエス様の「不思議」が信じる者から現れる。主の不思議に与る者となった恵みを思い、心から感謝する。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

© 2001 Nishinomiya Evangelical Church All rights reserved.