【みことばの黙想】『主を求める』歴代誌 第二1章1~13節

「ソロモンと会衆はそこで主を求めた。」1:5
 南ユダ王国の王に即位したソロモンは、会衆とともに、モーセの幕屋のあったギブオンに赴き、主を礼拝した(2~6節)。主を求めるとは、主を捜す、主に要求することである。「あなたがたがわたしを捜し求めるとき…わたしはあなたがたに見出される」(エレミヤ20:13,14)。主は求める者に、必ずご自身を現される。ソロモンが主を求めて礼拝した夜、主はソロモンに応え、ご自身を現された。「あなたに何を与えようか。願え。」(7節)。驚くことに、主がご自身に要求するよう求められたのである。主は愛する者たちに、喜んで与えてくださる方である。イエス様は私たちを救うために、ご自身のいのちをも惜しまずに与えてくださった。「わたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげます。」(ヨハネ14:13)。私たちの必要のすべてを主は知っておられる。それでも求めるように要求されるのは、本当に必要なものを、私たちが知るためではないだろうか。「神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6:33)。これこそ私たちが第一に求めることである。

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