【みことばの黙想】『天地の支配者なる主に』ヨシュア記10章1~14節

「民がその敵に復讐するまで、太陽は動かず、月はとどまった。」10:13

イスラエルと盟約を結んだギブオン人を救うため、ヨシュアが率いるイスラエル軍は、アモリ人の5人の王の軍勢と戦った(1~7節)。イスラエルが戦う時、主が戦われる(14節)。だからイスラエルは誰と戦っても、必ず勝利が約束されている(8節)。主がイスラエルとともにおられることを、敵が知るために、主は奇蹟を起こされた。イスラエルの奇襲攻撃を後押しされ、天からの雹で敵に甚大な打撃を与えられた(9~11節)。さらに主は、ヨシュアの、「明るいうちに敵を絶滅できるように、日を沈ませないでください」という、大胆な祈りを聞かれたのである(12,13節)。ヨシュアが、このように大胆に主に祈れたのは、約束を果たされる主がともにおられたからである(8節)。主は万物を造られ、治めておられる。「あなたは天の掟を知っているか。地にその法則を立てることができるか。」(ヨブ38:33)。絶大な力を持っておられる方が、私たちの主である。「主が人の声を聞き入れられたこのような日は、前にも後にもなかった。」(14節)。主は信じる者たちが、大胆に求め、祈ることを待っておられる。そして、その祈りは聞かれる。

2024年1月28日 礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2024年1月28日(日) の礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

メッセンジャー:山本峻師

聖書箇所:ヘブル人への手紙12:1〜3

タイトル:信仰の創始者であり完成者

西宮福音教会

2024年1月21日 証と礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2024年1月21日(日) の証と礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

証:マーカス・アンダーソン兄

メッセンジャー:檜垣正裕師

聖書箇所:マルコの福音書7:14〜30

タイトル:天の御国は激しく攻められている

西宮福音教会

【みことばの黙想】『強くあれ。雄々しくあれ。』ヨシュア記1章1~9節

「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。」1:9モーセの死後、神様はイスラエルを導くリーダーとして、ヨシュアを任命された(5節)。約束の地に入るために、雪解け水で溢れかえるヨルダン川を渡らなければならない(2節)。また、神を知らない民の住む地を奪い取らなければならない(4節)。しかし神様の約束は、「すでにあなたがたに与えている」(3節)。十字架上でイエス様は「完了した」と言われた(ヨハネ19:30)。だから私たちの信仰生活も「すでに」から始まっている。目に見える状況は、克服不可能と思われても、神様のことばに立ち、信頼して従っていかなければならない。神様は私たちの弱さをご存じである。だから信仰を励ましてくださるのである。約束の地を前に「強くあれ。雄々しくあれ。」と、3度も語りかけておられる(6,7,9節)。このときイスラエルを捉えていたのは「恐れ」であった(9節)。神様よりも、増水するヨルダン川を、敵を恐れていたのである。神様にまさるものは、天にも地にもない。「強くあれ。雄々しくあれ。」…それは「すでに与えている」約束に、イスラエルがしっかり立つようにとの、神様からのチャレンジである。主は私たちとともにおられる(9節)。主の愛の中にとどまる私たちを恐れさせるものは何もない。「強くあれ。雄々しくあれ」。

2024年1月7日 礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

2024年1月7日(日) の礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

メッセンジャー:山本峻師

聖書箇所:ヘブル人への手紙4:1〜11

タイトル:信仰によって結びつける

西宮福音教会

【みことばの黙想】『恵みから恵みへ』申命記26章1~19節

「主があなたとあなたの家に与えられたすべての恵みを…喜びなさい。」26:11

イスラエルの民は、荒野での40年の放浪の旅から、約束の地での定住生活に入って行こうとしていた。約束の地とその地の収穫物は、主の賜物である(2節)。最初に収穫する初物を「主が御名を住まわせるために選ばれる場所」へ行ってささげ、信仰告白をすることによって、主の恵みを覚えるのである(2~10節)。主から受けた恵みは、与えることによって増し加わるという、天の法則がある(ルカ6:38)。第三年目に、収穫の十分の一を納め、これをレビ人、寄留者、孤児、やもめに分かち与えることによって、天の法則が働くところとなる(12~15節)。神様は、イスラエルが恵みの上にさらに恵みを受けて、主の聖なる民としての証しを立てて生きるように望まれた(18,19節)。教会は「主の宝の民」、「主の聖なる民」である。神の恵みに感謝し、受けた恵みを分かち与えることによって、主の民としての栄誉を現していくのである(19節)。「主があなたとあなたの家に与えられたすべての恵み」(11節)…私たちが受けているものは、すべて神様からの恵みである。恵みを分かち合う時、主の喜びが満ちあふれるようになる(ヨハネ15:11)。

【みことばの黙想】 『主の御声に聞き従って』申命記18章15~22節

「あなたの神、主は…私のような一人の預言者をあなたのために起こされる。」18:15

イスラエルには、サムエル、エリヤ、エレミヤなど、主に忠実に仕えた多くの預言者たちがいた。しかし、モーセのような預言者は他にいない。主はモーセとは「口と口で語り、明らかに語って、謎では話さない。彼は主の姿を仰ぎ見ている。」(民数記12:8)。主が起こされたモーセのような預言者は、イエス様である。ユダヤ人たちが、バプテスマのヨハネに対して「あなたはあの預言者ですか」(ヨハネ1:21)と質問している。「あの預言者」が、モーセが言った「私のような一人の預言者」のことである(15節)。イエス様は神とともにおられ(ヨハネ1:2)、父なる神様と一つである(ヨハネ10:30)。イエス様だけが父なる神様を見ておられ、神様を現わすために世に来てくださった(ヨハネ1:18)。イエス様は人として世にお生まれくださった神の御子である。主はご自分を捨てて、そのいのちを与えてくださったほどに、私たちを愛しておられる(ガラテヤ2:20)。「あなたがたはその人に聞き従わなければならない」(15節)。私たちは御子の御霊を受けているので、主の御声に聞き従うことができる(ヨハネ10:16)。今年も主に信頼し、主について行こう。

【みことばの黙想】『ここまで主が導かれた』申命記8章1~10節

「この四十年の間、あなたの衣服はすり切れず、あなたの足は腫れなかった。」8:4
四十年に渡る荒野の旅を終え、イスラエルの民は、約束の地カナンを目前にしていた。四十年の間に死に絶えた民もあり、新しく生まれた民もいる。約束の地に入るにあたって、モーセは再び、神の律法と約束のことばを語った。神様に信頼して生きる祝福と(3,4節)、恵み豊かな神様への希望を教えるためであった(7~10節)。荒野での四十年間のイスラエルは、不従順と不信仰の連続だった。しかし、そのような彼らにマナが与えられ(3節)、過酷な荒野で衣服がすり切れず、足が晴れることもなかったのは(4節)、神様がともにおられ、導かれたからである。今日が今年最後の日である。この一年間は、あなたにとって、どのような年であっただろうか。世の中の闇が深まっていくのを見て、不信仰になっていなかっただろうか。世の中に、また自分にばかり目を留めていては、主があなたとともに歩まれたことに気づかないだろう。「この十字架につけられて、世は私に対して死に、私も世に対して死にました。」(ガラテヤ6:14)。キリストにあることに目を向けるとき、主が大きな恵みをもって歩ませてくださったことを知る。主よ。あなたに感謝ささげます。

【みことばの黙想】『神が住まわれた』ヨハネの福音書17章20~26節

「わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。」17:23
イエス様は、私たちが神の愛の中に生きるために、この世に生まれてくださった。信じる者に与えられる永遠のいのちは、父、御子、御霊の、三位一体の神との交わりの中に入れられることを意味する(Ⅰヨハネ1~3節)。十字架刑を前にしてイエス様が祈られたのは、信じるすべての者が、神との交わりの中を生きることで、完全な一致を持つことであった(21~23節)。十字架のみわざは、私たちを主と完全に一つにする(23節)。復活の主の御霊が住まわれるので、神を愛し、互いを愛することを知るようになる(26節)。私たちは主の愛の中にとどまることによって、御霊による一致を保つ(23節)。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」(1:14)。イエス様が世に来られたことで、神の国が世に現わされた。そして、イエス様のいのちを受け取った人々を通して、神の国が広がっている。神の国は神が愛で治めるところである。父なる神様は、愛するひとり子をお与えくださったほどに、私たちを愛された。これが神の国である。

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