【みことばの黙想】『恵みから恵みへ』申命記26章1~19節

「主があなたとあなたの家に与えられたすべての恵みを…喜びなさい。」26:11

イスラエルの民は、荒野での40年の放浪の旅から、約束の地での定住生活に入って行こうとしていた。約束の地とその地の収穫物は、主の賜物である(2節)。最初に収穫する初物を「主が御名を住まわせるために選ばれる場所」へ行ってささげ、信仰告白をすることによって、主の恵みを覚えるのである(2~10節)。主から受けた恵みは、与えることによって増し加わるという、天の法則がある(ルカ6:38)。第三年目に、収穫の十分の一を納め、これをレビ人、寄留者、孤児、やもめに分かち与えることによって、天の法則が働くところとなる(12~15節)。神様は、イスラエルが恵みの上にさらに恵みを受けて、主の聖なる民としての証しを立てて生きるように望まれた(18,19節)。教会は「主の宝の民」、「主の聖なる民」である。神の恵みに感謝し、受けた恵みを分かち与えることによって、主の民としての栄誉を現していくのである(19節)。「主があなたとあなたの家に与えられたすべての恵み」(11節)…私たちが受けているものは、すべて神様からの恵みである。恵みを分かち合う時、主の喜びが満ちあふれるようになる(ヨハネ15:11)。

【みことばの黙想】 『主の御声に聞き従って』申命記18章15~22節

「あなたの神、主は…私のような一人の預言者をあなたのために起こされる。」18:15

イスラエルには、サムエル、エリヤ、エレミヤなど、主に忠実に仕えた多くの預言者たちがいた。しかし、モーセのような預言者は他にいない。主はモーセとは「口と口で語り、明らかに語って、謎では話さない。彼は主の姿を仰ぎ見ている。」(民数記12:8)。主が起こされたモーセのような預言者は、イエス様である。ユダヤ人たちが、バプテスマのヨハネに対して「あなたはあの預言者ですか」(ヨハネ1:21)と質問している。「あの預言者」が、モーセが言った「私のような一人の預言者」のことである(15節)。イエス様は神とともにおられ(ヨハネ1:2)、父なる神様と一つである(ヨハネ10:30)。イエス様だけが父なる神様を見ておられ、神様を現わすために世に来てくださった(ヨハネ1:18)。イエス様は人として世にお生まれくださった神の御子である。主はご自分を捨てて、そのいのちを与えてくださったほどに、私たちを愛しておられる(ガラテヤ2:20)。「あなたがたはその人に聞き従わなければならない」(15節)。私たちは御子の御霊を受けているので、主の御声に聞き従うことができる(ヨハネ10:16)。今年も主に信頼し、主について行こう。

【みことばの黙想】『ここまで主が導かれた』申命記8章1~10節

「この四十年の間、あなたの衣服はすり切れず、あなたの足は腫れなかった。」8:4
四十年に渡る荒野の旅を終え、イスラエルの民は、約束の地カナンを目前にしていた。四十年の間に死に絶えた民もあり、新しく生まれた民もいる。約束の地に入るにあたって、モーセは再び、神の律法と約束のことばを語った。神様に信頼して生きる祝福と(3,4節)、恵み豊かな神様への希望を教えるためであった(7~10節)。荒野での四十年間のイスラエルは、不従順と不信仰の連続だった。しかし、そのような彼らにマナが与えられ(3節)、過酷な荒野で衣服がすり切れず、足が晴れることもなかったのは(4節)、神様がともにおられ、導かれたからである。今日が今年最後の日である。この一年間は、あなたにとって、どのような年であっただろうか。世の中の闇が深まっていくのを見て、不信仰になっていなかっただろうか。世の中に、また自分にばかり目を留めていては、主があなたとともに歩まれたことに気づかないだろう。「この十字架につけられて、世は私に対して死に、私も世に対して死にました。」(ガラテヤ6:14)。キリストにあることに目を向けるとき、主が大きな恵みをもって歩ませてくださったことを知る。主よ。あなたに感謝ささげます。

【みことばの黙想】『神が住まわれた』ヨハネの福音書17章20~26節

「わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。」17:23
イエス様は、私たちが神の愛の中に生きるために、この世に生まれてくださった。信じる者に与えられる永遠のいのちは、父、御子、御霊の、三位一体の神との交わりの中に入れられることを意味する(Ⅰヨハネ1~3節)。十字架刑を前にしてイエス様が祈られたのは、信じるすべての者が、神との交わりの中を生きることで、完全な一致を持つことであった(21~23節)。十字架のみわざは、私たちを主と完全に一つにする(23節)。復活の主の御霊が住まわれるので、神を愛し、互いを愛することを知るようになる(26節)。私たちは主の愛の中にとどまることによって、御霊による一致を保つ(23節)。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」(1:14)。イエス様が世に来られたことで、神の国が世に現わされた。そして、イエス様のいのちを受け取った人々を通して、神の国が広がっている。神の国は神が愛で治めるところである。父なる神様は、愛するひとり子をお与えくださったほどに、私たちを愛された。これが神の国である。

12月24日 クリスマス礼拝

主の御名を賛美いたします。

12月24日(日)クリスマス礼拝の特別賛美とメッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

聖歌隊特別賛美:This Child

 

メッセンジャー:檜垣正裕師

聖書箇所:マタイの福音書2:1〜12、ルカの福音書2:8〜20

タイトル:救い主との出会い

※当教会ではマスク、手指の消毒は個々の判断にお任せしています。 

西宮福音教会

10分くらいのChristmas Message 202312

メリークリスマス! クリスマスにお生まれになったイエス様はあなたにとって何者でしょうか? もしあなたにとってイエス様が無関係なら、あなたは無関係な相手の誕生をお祝いしていることになりますね。 まずはイエス様にとってあなたがどのような存在であるかを確認してみましょう。 そして、あなたはそのイエス様の思いにどう応答されますか?



12月17日 アドベント第三週 礼拝メッセージ

主の御名を賛美いたします。

12月17日(日)アドベント第三週の礼拝メッセージを本日より配信いたします。

どうぞご覧ください。

 

メッセンジャー:檜垣正裕師

聖書箇所:ピリピ人への手紙2:1〜11

タイトル:キリストの謙遜

※当教会ではマスク、手指の消毒は個々の判断にお任せしています。 

西宮福音教会

【みことばの黙想】 『光を信じなさい』ヨハネの福音書12章27~36節

「自分に光があるうちに、光の子どもとなれるように、光を信じなさい。」12:36

クリスマスシーズンになると、あちらこちらでイルミネーションが点灯し、暗い夜を明るく照らす。イエス様のご降誕は、この世界に光をもたらした。この世は罪の結果、闇に支配されるようになった。闇は死をもたらす。闇とは「この世を支配する者」(31節)のことであり、サタンを指している。イエス様が、人間の身代わりに十字架で死んで、よみがえられたことで、この世を支配する者が追い出された(31,32節)。この事実を信じることができるのは、光に照らされた時である。「わたしはすでに栄光を現した。わたしは再び栄光を現そう。」(28節)。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためです。」(30節)。イエス様の十字架の勝利と栄光は、すでに世に現わされた。信じるなら闇の支配ではなく、光の支配の中に入れられ、主の勝利と栄光の中を歩んでいく。「光を信じなさい。」(36節)。イエス様は、世の光としてこの世にお生まれくださった。イエス様を信じること。これが人間にとってのすべてと言える。光はあなたに照らされている。

【みことばの黙想】 『永遠の塩の契約』民数記18章1~20節

「それは…あなたとあなたの子孫に対する永遠の塩の契約となる」18:19
塩は腐敗を防ぎ、不変を保つ役目がある。永遠の塩の契約とは、神の約束は永遠に変わらないことを保障した契約である。この契約は、祭司アロンと、その子孫に対して与えられた。祭司職は主からの召しであり、主が永遠に、その生活の保障をしてくださるとの約束である。つまり永遠の塩の契約は、主の真実さと恵みにかかっている契約と言える。神様は無条件で与える方である。「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。」(イザヤ9:6)。父なる神様は、ひとり子のイエス様を罪の世に与えてくださった。そして信じる者に永遠のいのちを与えてくださった。信じた私たちは、主と永遠の塩の契約を結んだのである。その契約の保障は、主のなされたみわざである。主は、ご自身のすべてを私たちに与えるために、この世にお生まれくださった。「あなたがたは地の塩です。」(マタイ5:13)。教会は、この世に主の聖さを現わす者である。主に合わされた新しき人として、ただ主を完全に信頼し、御霊の導きに従っていくだけである。

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